Mary Anne by Gorilla

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東京のパワーポップ・バンド、Gorilla(バンド名はRubinoosのデビューシングルから?)が昨年に元Boys Club、現CozyのSteve Borchardt(パンク・ロックのファンにとってはTeengenerateが2013年8月3日に再結成ライブを行った際の、オープニングの熱いこのMCでお馴染みなのではないかと)と、同じくCozyのEli Hansen(Real Numbersでも活動中)が主宰するThree Dimentional Records(FacebookSoundcloud)からリリースした1stシングルがBandcampにあがっていて、失礼なことに僕はこのバンドの存在もThree Dimentionalからシングルを出してたという事実も存じ上げなかったのだけれども、最初聴いた瞬間に「ヤバイ!」と思ってmp3を$1.5出して買って、散々聴きまくってるうちにやっぱりこれは盤で聴きたいなと、現在所有しているターンテーブルが壊れてしまっていて盤を手にしても実際には聴けないにも関わらず、Web上をあちこち探して置いてるショップがなかったので結局レーベル直販で送料込みで$19出して買ったっていう。

聞けばこのバンド、昨年惜しまれつつも解散したThe Cokesのオガワ氏とPOP’N’ROLL Records(SoundcloudBlog)主宰のポップンアツシ氏によるものであるということで、日本のパワーポップシーンを支えているお二方ならではというか、Justin Troubleの82年のLP風味のジャケット(ジャケの元ネタに関しては、他にもなにかあった気がするんだけれども思い出せない・・・)の時点でもう間違いはない、って感じなんだけど。Trk-2の”Forever”もパンキッシュなパワーポップでかっこいいんだけど、とにかくTrk-1の”Mary Anne”がアメリカン・パワーポップど直球のナンバーで涙腺決壊もの。これなんだよなあ、こういうのが僕の大好きな「パワーポップ」なんだ。

もう何度もそこいらで語られていることだけれども、ここで僕もものすごく大雑把に「パワーポップ」っていうジャンルを総括すると、Raspberries、Big Star、Badfingerらのオリジナル・パワーポップ勢とそれらの影響を受けたバンドたち、パンクと同時代にその熱を浴びて活動していたバンドたち、80年代以降に上記のアーティストの影響を受けながらも時代性とともに様式を変えていったElvis BrothersやCandy、Sex Clark Five、Outnumberdといったバンドたち、80年代終わりから90年代にかけてギターポップ(いまは「インディー・ポップ」とするべきなのかな)とリンクしていったバンドたち(Teenage FunclubとかPosiesとか)。90年代以降の、僕自身はまったくそれらをパワーポップだとは認識していないのだけれども、WeezerとかFountains Of Wayneとか、そういったオルタナからの流れを汲むバンドたち。そしてそれよりも、90年代半ば~2000年代初頭にかけてこの日本でMore Fun(先日Target Earth Recordsからリリースされたベスト盤CDは感涙ものでした)、Tweezers/Firestarter、Samantha’s Favouriteといったバンドたちによるパワーポップ再評価の流れがあったことは絶対に忘れてはいけない!僕はがそういったアーティストの盤を聴くようになった2000年くらいからの数年間、あのときのレコード屋、ライブハウス(それに加えて、特に2000年代前半に首都圏と地方とで得られる情報の差を縮めていったという点で、当時普及しはじめたばかりのインターネットの、そこかしこのBBSが果たした役割も大きかったと僕は思う。個人的には、情報が発信・受信されるものとしてではなく、みんなで「シェア」されるのものになっていくのをはじめて体験したのが各種BBSだった)を中心としたパワーポップへの異常な熱気の高まりは半端じゃなかった。盤の相場が暴騰してしまって全然買えないとかそういう弊害?もあったけど。それから、2000年代前半にまさに彗星の如く現れたExploding Hearts!!彼らの1stアルバムは90年代以降の、というよりもパワーポップの歴史においてもエポック・メイキングな出来事だった、っていうほどに彼らの影響力は大きく、現行のバンドたちのその多くに彼らからのインフルエンスを見出すことが出来る・・・なんて言いながら、2000年代以降~現代のパワーポップに関しては細分化が進みすぎていて僕も完全には把握出来ていないし、現行のバンドに関しては特にこれはパワーポップ、これはパワーポップじゃないよなあ・・・と、「パワーポップ」っていう単語を使うことに対して僕自身デリケートにならざるを得ないというか。その理由については後述するとして。で、このGorillaの”Mary Anne”という楽曲がいわゆるアメリカン・パワーポップ、Rhinoからの記念碑的コンピレーション盤「Come Out And Play」、「Shake It Up」、またはThe H2Dからリリースされた「Teen Line」とか「Hyped To Death」とかといったようなオブスキュアなところまでおさえたブート的なもの、そういったコンピに収録されているようなlate70’s~early80’sのアメリカン・パワーポップの影響下・・・というよりも、まさしくアメリカン・パワーポップそのもの。彼らが単なるリバイバリストか否かという議論は(そもそも、そんなつまらないことをやり始め出す人がいるのかどうかも疑問だけれども)、この素晴らしい楽曲の前では一切無効だ。

僕にとって、「パワーポップ」(またはパワーポップも含めての「パンク」)っていうのは神聖なものだ。僕は生まれてからこのかた、これほどまでにクールな音楽と出会ったことはないし、これほどまでにその一部になりたいと強く願ったこともない。パワーポップには、僕が音楽に求めるもののすべてがある・・・と15年前にパワーポップを聴き始めたばかりのときにそう思った。過去への大きな憧憬と、それらを自分たちの想いと力でもって肉体化させて前に進む意志。ポップさ、愛、タイトな力強さ、ロックンロール。パワーポップに出会って、もう人生が一変した。音楽にかける自分の情熱が加速度的に高まって、当時僕は呑気な大学生だったのだけれども、それこそ朝から晩まで都内のレコード屋のエサ箱(レコード屋で100円とかで投げ売られてる盤が無造作に段ボールに詰め込まれている、アレですね)を漁っては、ジャンルとか関係なく片っ端から聴くという作業・・・「作業」という単語にはどうも違和感を覚えてしまって仕方がないのだけれども、とにかくそれをやり続けた。何故って、当時はまだパワーポップのレコードの価格が高騰する直前で、そこらのエサ箱にパワーポップの名盤とされる盤が入っていたから。というのと、当時の僕が手にした「パワーポップ」っていう価値観、物差しでもって過去の(またはその当時までの)音楽を自分自身で再度測りなおして(自分のなかで)体系化してみたかったから。その当時は本当に手に届くものなら何でも聴いた。また、とにかくパワーポップに関する情報に飢えていて、手に入るファンジンとか、当時自室に導入したばかりだったインターネットでパワーポップに強い海外サイトとかを隅から隅まで眺めた。そうこうしているうちに、まだ手にしていない盤たちへの憧れが肥大化してしまい、もういてもたってもいられなくなって、レコードを買い漁る目的だけでNY旅行までしたりもした。そういう地道な情報収集から、例えば。Raspberriesが”I Saw The Light”のタイトルをトッド・ラングレンにパクられたのに腹をたてたエリック・カルメンが、Raspberriesの”Tonight”のあの美しいイントロでトッドの”Couldn’t I Just Tell You”のイントロのコード進行をパクり返したとか、その”Tonight”のイントロを数年後にRubinoosが名曲”I Wanna Be Your Boyfriend”で引用したり、またはクリーブランド出身の偉大なるパンク・バンドDead Boysが同郷の先達Raspberriesに敬意を示すかの如く自分たちの”All This And More”のリフに組み込んだり、またはRaspberriesに深い愛情を注いでいた(Raspberriesの再結成ライブ盤にコメントを寄せているくらいに!)ブルース・スプリングスティーンが彼の出世曲”Born To Run”でRaspberriesの”I Don’t Know What I Want”のリズム・パターンをその愛から思いっきり盗用していたり・・・そういった事実に出くわすたびに、大げさかもしれないけれどもはロックンロールの歴史のうえに自分も立つことが出来ている気になって死ぬほど興奮したものだ。当時は全然お金がなかったから、市内の図書館に行ってCD貸し出しコーナーにあるものも借りまくって片っ端から聴いた(まったくの余談になるけれども、貸しLPコーナーがある古い図書館が僕の地元にあって、そこにJohnny MopedのLPの日本盤があるのを見つけて驚いたことがある。当時あの盤を、あの図書館に勤めている/勤めていた司書のどなたかが市の予算のなかから「仕入れ」たであろうということに、心底胸が熱くなったものだ)。そうやって自分の中に蓄積・形成されていった音楽的な志向性はいまでも僕が大事にしているものだし、だから、「パワーポップ」っていう単語を、先人たちの辿ってきた苦闘の歴史とかになんのリスペクトもなく、なんとなく雰囲気的に使われているのを見ると僕ははっきり言って嫌だなあと思うし不快に感じる。そういうことに自分が神経質になるからこそ、僕が現行のバンドにパワーポップっていうタグを付けることによって、当ブログに偶々にでも目を通してくださった熱心なパワーポップのリスナーの方々がそういう感情を覚えてしまうであろうことは容易に想像がつくので、「パワーポップ」という単語を使うときにはいつも神経を磨り減らす想いをしているわけなんだけれども。だって、そもそも僕にとっては、「パワーポップ」っていう言葉は「人生」と同じくらいに重たいものだから。そういったわけで、このGolliraのように「パワーポップ」っていう単語を胸を張って堂々と言えて、こういう風にブロギング出来る音源との出会いっていうのは本当に、いちブロガーとして最高としか言いようがないね!

ただ、現在の僕は決してパワーポップ、パンク「のみ」を聴いているリスナーではないし、当ブログで扱う音楽性に関してはむしろパワーポップ以外の音楽が占める比重のほうが大きかったりもするのだけれども、僕にとっては15年前のあの日々、レコード屋で誰からも見向きもされないコーナーに無造作に放り投げられている盤をDIGる、あの続きをネット上に場所を変えてやっているだけのつもりだったのだけれども。恐らくはGoillraのメンバーって、そういう盤をレコード屋でDIGることをずーっと行っていらっしゃる方々なんだろうし、そこから生まれたであろうこの2曲が放つ「パワーポップ」っていう音楽への熱意、熱量を浴びると、自分なんかまだまだだなあと。本当に、自分なんか、まだまだなんだ。というわけで、このGorillaによる最高のシングルを前に、自分も(狩場のメインはネット上で、という僕自身のスタンスは変わらないけれど)これまで以上に熱く音楽をDIGっていくんだ、という決意を新たにさせられるような、そんな一枚。

そして、それは僕にとってはとてもプレシャスなことなんだ。

カテゴリー: power pop, punk, R&R パーマリンク

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