光の扉 by NOBARA

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東京のNOBARA(SoundcloudTumblrTwitterWeb)によるシングル「光の扉」が本日、2015年5月15日よりiTunes(Link)、Amazon(Link)などで配信スタート。NOBARAを知らない、という方はその経歴について彼女のWebに掲載されているプロフィール欄(Link) を確認していただくとして。この尋常ではない完成度を誇るシングルをひっさげて、ここから彼女は本格的に各メディアでの露出もスタートすることになるのだろうし、その唯一無二な音楽性についても各所で語られていくことになるのだろうとも思う。こんな強烈な音楽を世間が放って置くわけがないのだから。そういった状況下で僕のところのような個人ブログが、例えばプレスシートに書かれているような言葉を並べたとしても、そんなものにはポップアップ広告の薄っぺらい文言くら いに意味なんてないだろうし、あくまでも当ブログでは僕の私的な想いを綴りたいと思う。

僕はNOBARAの存在を、僕の親愛なるフランスの友人Jo Caronによる”slowdm”ユニット、sumuoがSoundcloud上で彼女のシングル曲”花束”のリミックスを発表したことで知った。

sumuoについては僕は以前こういうエントリーを書いたくらいに想いの深いアーティストであるし、彼がリミックスをするアーティストには間違いがあるはずがないというくらいに、僕は彼の音楽的な審美眼を信頼している。件のリミックスが素晴らしかったこともあって、僕はすぐにNOBARAのミニアルバム「LINE」を購入して聴いて、そのドラマ ティックなシューゲイズ・サウンドに魅了された。

彼女の音楽が放っているのは、強烈なまでの「痛み」だ。他者に必要とされないわたし。理解されない自分。そんな場所でときに蹲まってしまいながら、それでも凛として強くあろうとするがゆえに生ずるような、そんな痛み。ミニ・アルバム「LINE」は、聴き手の共感や感情移入すらも拒絶するかのような自立への意志と、猛烈な美しさに満ちていて、その生々しさから僕は決して目を逸らすことが出来ない、そんな作品だった。

 

彼女の音楽へのスタンスには一貫した「誠実さ」(または「潔癖さ」)をその根底に宿している、と僕は思う。ときにエキセントリックに見える彼女のアクション、例えば新宿でゲリラ・ライブを敢行して警察が出動する騒ぎになったり、音楽業界初の返金サービス(詳しくはこちら)をスタートしたりといったことなども、決して奇を衒っているのでもなんでもない。彼女がいちアーティストとして自身の表現に、またはリスナーに向かい合うということに対して、ただただ誠実であらんとしたその結果なのだと。

そして彼女は、傑作「LINE」のあとシングル「嵐が過ぎ去るまで」(Soundcloud全曲視聴)を経て、本作「光の扉」のリリースへと至った。

matryoshka(マトリョーシカ)のト ラック・メイカーSenをアレンジャーに迎えて、美麗なストリングス、ピアノの旋律とバンドサウンドが一体となって織り成すエモーショナルなヴィジョンは、まさしく「壮絶」の一言 に尽きる。彼女のTumblrに記されたこの曲についてのセルフライナーノーツより、特に印象的な一文をここに引用する。

30年前からそこにあるような音楽にしたかった。
懐古的で、
ポーズをとれないぐらい生き尽してしまう人間の無様さ、
愛されないとわかっていて愛してしまう悲しさ、
必要とされなくとも溢れてしまう不変的な感情を捉えたいと思った。

『光の扉』というタイトルは、
愛する人が自分のもとを去り、家を出ていく時の玄関の逆光から。
それと、
人生の出口になってくれるかもしれない と希望を抱いたのに消えていく人を比喩している

僕には彼女がこの楽曲を、もう一切の救済を望めないくらいの絶望と対峙して、「許容」を得るために祈るような想いで制作したのではないか、と思えてならな い。願ったようには人生の出口にはならなかった、自分のもとを去って行った愛する人を許し、その状況が好転することなどもう決してないということはわかっていながらも、何度も何度も「どうしようもないの?」と呟くことしか出来ない無様な自分を許し、またいつかは「光の扉」を自ら潜って孤独に蝕まれた新しい日々を過ごさなければいけないことを許し・・・と。もしも「許容」という表現が相応しくないのであれば、「受容」と言い換えても構わないだろう。圧倒的に残酷な現実を受け入れるということ。それが出来ないから、出来そうにもないから、正直なところいまの僕はこの曲を聴くのが辛い。サウンドの一音一音が、歌詞の 一字一句があまりにもリアルで、ヘビーで、心に響くなんてものじゃない。聴いていて息が詰まる。胸が張り裂けそうなくらいに痛くて苦しい。だけど同時に、この曲が鳴っている5分14秒のあいだだけは、僕は「赦し」を得られる気がして、心の底から安らかな気持ちにもなれる。

カップリング曲のRadioheadカバー”No Surprises”も同様だ。再度彼女によるセルフライナーを引用すると、

ぜんぶどうでもいいよって喪失感を込めたカバー曲。
原曲のメッセージ、抗わない絶望感に共鳴して始まったので、
『二度と起きたくない』という思いでエキセントリックめに仕上げました

愛を喪失したとき。癒してくれるのは時間だけである、といったような紋切り型の表現を僕は憎む。所詮、時間なんてものは大切な人の「不在」に、心や感受性を麻痺させるだけの機能しか担わないからだ。それが「癒し」であるとするならば、僕にはそんなものは必要ない。僕は、こういった心の傷を抉り出すような音楽に向き合って、惨めな自分、なにも出来なかった自分を唾棄して徹底的に痛めつけることでしか見えてこない、強さや前向きさが欲しい。だから、僕はこのシングルを愛する。

「光の扉」はNOBARAの、間違いなく現時点での最高傑作と呼ぶべき作品であるし、このエントリーを読んでくださっている方々には本作の持つ壮大なスケール感、それらが表現する哀しさととんでもない美しさに対面して、驚愕して欲しいと思う。

カテゴリー: alternative, post-rock, shoegaze パーマリンク

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