他薦ベスト by Theムッシュビ♂ト×古川敏彦

14.9.1 M3ジャケット(塗り足し)

ま ずは、いまの僕の決意を認めるイントロダクションからこのエントリーをスタートさせたいと思う。当稿は、2014年秋のM3においてPositive Recordsのブースで頒布されたCD「他薦ベスト by Theムッシュビ♂ト×古川敏彦」のライナーノーツに大々的に加筆修正を加えたものである。もともとはM3でのリリースと連動する形で当ブログでの公開も 予定されていたのだが、このCDの完成を待たずして僕がとある個人的な事情により作業を続行することが不可能になってしまったため、この企画の肝である選 曲であり解説を僕を全信頼してくれて任せてくださったTheムッシュビ♂ト氏、僕にとってはデザイナーさんと一緒に作業を進めていくという初めての経験の 前で、遅々として進まない僕の執筆に不満を漏らすことなくこのプロジェクトにおけるディレクションの舵を握り続けてくれた渡邉望氏の気持ちを裏切って、彼 らには何も 言わずに僕は逃げた。その辺の経緯に関してはTheムッシュビ♂ト氏のブログの、こちらのエントリーに書かれてある。

僕 を生かしてくれるもののことをいつも考えていた。家族、友人、仲間、恋人のようなあたたかい人たちと、音楽。あなたたちのおかげで僕の人生は光に満ち溢れ たものとなっているし、あなたがたが生まれてきてくれてありがとうって、僕はいつもそう思っている。あなたがたが生まれてきてくれてありがとう、こんな僕 なんかと出会ってくれてありがとう。・・・で。自分がそのなにかのために生きたい、それをするために生きたい、そういったモノが自分にはあるのだろうか? その答えこそが、私的なアレコレに対面してアイデンティティ・クライシスに陥ったときの僕をドン底で支えてくれたものだった。僕にとってそれは、音楽を聴 いて音楽に向き合って、自分の中に生まれる熱を「言葉」にするということだった。いつからかその可能性をほとんど諦めていた、このブログの存在ものだっ た。僕がこの数年間ここで積み重ねてきたことは、僕が僕であることを肯定して生きていくうえで、決して自分を見捨てることなく最後の最後までチカラになっ てくれたんだよ。僕は他のなにものでもない、音楽ブロガーだ。それは誰にも傷つけることのできない僕のプライドだ。当ブログに綴ってきた言葉は僕がこの数 年生きてきた軌跡そのものであるし、特にこの「他薦ベスト by Theムッシュビ♂ト×古川敏彦」のライナーノーツは僕にとって、期せずして自分に訪れた熱くて濃密な時間の数々・・・恐れずに言うならば「青春」 の一大総決算のような位置付けのものだ。これをしっかりとカタチにしなければ僕は前に進めない。腐り切った毎日を過ごしながらも僕は、ずーっとそう思って いた。だから、僕はもう逃げない。傷ついても前に進むんだ。たとえこれから進む先がただのデッドエンドなのだとしても、その景色を見に行くことに決めたん だ。上記したような経緯で多大なる無礼を働いたにも関わらず、今回の当ブログでの公開を快く了承してくださったTheムッシュビ♂ト氏と渡邉望氏に心から の謝罪と、なによりも感謝を。いまこのエントリーを読んでくださっている「あなた」に、もう全身全霊でありったけの愛を!世界中にたったひとりでもいい、 僕が書くものを読んでくださる方がいるならば、僕はこのsittingbythechurchwithdanという自分にとって最も大切な場所を守って生 きていきたい。心の底からそう思うんだ。

(注・Bandcampページよりフリーダウンロード出来ます)

今 年の6月、僕は大阪茨木の「シーケンサーを手にしたシンガーソングライター」、Theムッシュビ♂トからこの他薦ベストという企画における選曲・解説の依 頼を受けた。彼が指定してきた条件としては「ベスト」と銘打つものではあるが自分に関するどの曲を選んでもよい、解説にもなにを書いてもいいというもの で、装丁には彼が以前ネットでリリースした電子書籍「詩篇ムッシュビ♂ト」に繊細極まりないデザインを施した渡邉望氏が関わるということであった。僕は Theムッシュビ♂トの友人である以前に熱狂的と言ってもいいくらいのファンであるし、前述した電子書籍における渡邉氏の仕事に感銘を受けていたことも あって一も二もなくその依頼を引き受けたのだけれども、その時点で僕がアタマに思い浮かべていたのは、90年代後半に乱発されたフリーソウル・コンピ。あ あいった感じ・・・といっても当時僕はそこまで真剣に追っていたムーブメントではなかったため、近所のブックオフで数枚その手のコンピ盤を買ってきて、ラ イナーノーツを細かくチェックしたりアレコレと模索していたのだけど、なんか違う。それよりも、自分が20代前半に数少ない友達のために選曲・編集して、 藁半紙に汚い字でトラック毎に解説を書き殴ったミックステープ、あれをやればいいんじゃないか、と思いついた。そこにセレクトした曲の時代性やジャンルも 全部バラバラで、稚拙極まりない解説に至ってはいま読み直したらきっと自分の若さに赤面してしまうような、そんなミックステープ(のちにテープからMDに なったけど)。そしてそこから、僕が20代前半にパンクロックやパワーポップといった音楽から(勝手に)受け取った「音楽」と対峙するあり方、すなわち本 当にカッコいいものはほかの誰でもなく自分自身で決めるんだ、そこら辺のレコード屋の100円コーナーでゴミ扱いされているレコードにもカッコいいものは 腐るほどあるからそれらを「DIG」っていくんだ・・・そういった熱意が伝わってくるもの。それから、ライナーノーツに関してはCDRを手にした方がその 情報量に驚くような過剰なものにしよう、と。M3に並ぶ何百何千というCDのなかでも、「ライナーノーツ」という本来的には付加価値でしかない部分を徹底 的に特化させたものにして、「こんなものがフリーでいいの?」と、そう言ってもらえるもの。そしてそこに書いてあることというのが、Theムッシュビ♂ト というアーティストについて好き放題書いている程を装いつつも、結果的には彼の歴史を総括するようなもの。僕が意図したところにこのライナーノーツが辿り 着けているか、そうでないかは皆さんひとりひとりに判断していただくとして、僕がこの「他薦ベスト」で目指したものはそういったものだ。
Trk- 1 ユーのダー(Monsiur’s My mixi Edit) 最初に、僕の音楽についてのスタンスを記しておこう。僕はこれまで20数年の間、いち音楽リスナーとして割と雑多に音楽を聴いてきたつもりな のだけれど、J-POPに関してはほとんど・・・いや、まったくと言っていいほどに聴いてきていないし、ある一時期においては積極的に嫌いだった。なん か、感動のバーゲンセールでもやっているみたいで安い音楽だなって(いまとなっては自分の見識の乏しさに苦笑してしまうのだけれども)。ではなぜ、自身の 音楽性を「J-POP」であるとプライドを持って明言するこのTheムッシュビ♂トというアーティストの音楽を僕が好んで聴くようになったのか。僕はどの ようにして彼と出会ったのか。それは2011年の初夏に遡る。日本がとてつもない悲しみに覆われて、文字通り明日も見えなくなったあの年に、きっと多くの 人がそうだったのではないかと思うのだけれども、僕も音楽を聴いたりだとか踊ったりだとか美味しいものを食べたりだとか、そういった楽しみを享受するとい うこと、喜びを表現するということとの付き合い方を完全に忘れてしまっていた。いま振り返ってみるとPTSD とか、多分そんな感じだったのだろうなと思う。その状況で本当に偶然出会ったのがアメリカ、アトランタのChaz Bell という若き才能がH | p s という名義で発表した「Youth On Pills」という、恐ろしくネガティブなlo-fi/シューゲイズの大傑作EPであり、または彼が当時在籍していたAn Isle Ate Her というグラインドコアバンドである。Chaz Bell及びAn Isle Ate Herについての自分の思いとかっていうのは当稿では省略するが、なんとかして彼らの音楽の素晴らしさを他人に伝えたい!と思って当時僕が運営していたALL HAIL ATLと いうブログに稚拙ながらもアレコレと書き散らしてあるので、気になった方はそちらをチェックしていただけたら。・・・これはまったくの余談なのだけれど も、Drakeがリミックスしたことから一躍時の人となって、先日グラミーにもノミネートされたiLoveMakonnenも出入りしているAwful Recordsが、2014年にインターネット上で猛威を奮うなかその一員としてChaz Bell aka Slug Christが暴れまわっていたり、An Isle Ate Herの解散後にドラマーのCatt MoopがスタートさせたTRAP系のユニットHYDRABADD が、いまをときめくRyan Hemsworthのミックスでスピンされたあたりから徐々に注目を集めて現在世界中で大人気になっているのって、彼らが自分の信念を貫き通した結果とし て、本当に痛快で仕方ないんだよね。・・・話を本題に戻そう。彼らとのネット上での出会いから、僕は音楽の興味対象の中心が「インターネット上で音源を配 信している未知のアーティスト」へと完全にシフトした(もちろん盤も今まで通り大量に買ってはいたけれども)。ちょうどその頃というのが、現在隆盛を極め るカセットカルチャーがその黎明期と言うべき時期だったのだけれども、僕はもう出会った瞬間に「これだ!」と確信してそこに全力で飛び込んだ!海外通販を フル活用してカセットを毎日毎日買いまくった。そこから(主に)海外のさまざまなインディーなアーティスト、レーベルオーナー、ブロガーたちとの交流がは じまり、その彼彼女たちがやっていること、またはそのリアルな姿や発言を伝えるメディアが日本にはない、と痛感したため紆余曲折を経たのち当ブログを僕は スタートさせることになる。とにかく貪欲に音楽を掘って、いままで聴いていなかったジャンルのものでも積極的に聴いて、いいと思ったものはその周辺のもの を含めて聴きまくる・・・という風に、自身の音楽への姿勢が変わってきた。客観的に見るならば自分の中でなにかタガが外れて、一気に享楽的な方向へ向かっ たというか。そして同じく2011年の初夏のころのこと。ある晴れた日曜日の午後に、僕のTwitterのTLに流れてきたUstream のリンクに何気なく飛んでみたところ、そこで行われていたのが3106氏(Soundcloud) のDJプレイの模様で。いわゆる「エディット」ばかりがスピンされるそのDJスタイルは、3106氏の言葉を借りるならば「踊りづらいダンスミュージッ ク」としてのエディットの魅力を十二分に伝えてくれるもので、これが本当に刺激的だった!その日スピンされた楽曲のなかでも、New Orderの「Blue Monday」のイントロの引用から始まるTheムッシュビ♂トの「ユーのダー(Monsiur’s My mixi Edit)」には・・・もう、ね。本当にぶったまげたんだ!!!3106氏はMike Watt(Minutemen)やButthole Surffersへのリスペクトをよく口にしていてたし、2013年の夏に念願叶ってお会い出来た際にも氏にとってエディットとは「ただの事故」であると いうことや、再結成後のBuzzcocksのSteve Diggleが最高にカッコ良いということ(!!)などを熱く語っていただいたんだけど、この「ユーのダー」のエディットはまさしくそういったパンク・ ロック/ハードコア・パンクの煽情的な側面や衝撃性、またはそこから得られるカタルシスをベースにしてエディットというジャンルに向かう3106氏と、自 身の「感情」に徹底的に向き合いそれを言葉にすることで時として狂気を内包することすらある、Theムッシュビ♂トのキャリアにおけるひとつの頂点ともい うべきダウナーでネガティビティーの塊のようなリリックをぶんまわした暴力性全開の楽曲とが、言わばその「波形」がピタリと合ったかのように融合した、凄 まじいトラックだ。これには僕は本当にショックを受けた。20何年だかのリスナー人生で自分のなかに築き上げてきたつもりだった「価値」の一切を、全部。 もう、鮮やかなまでにぶっ壊された。これ、J-POPなの?最高じゃん!!って。音楽を信じて生きていたらきっと、誰にでもこういう出会いってのはあるん だよ。これが僕にとっての、Theムッシュビ♂トの音楽とのあまりにも鮮烈なファースト・コンタクトだった。・・・そして。ここからは私信になるのだけれ ども、どうしても書いておきたいこと。3106氏の作るトラックでありエディットに僕は常々畏敬の念を覚えているし、リアルでは一度しかお会いしていない とはいえ僕は氏の繊細で優しくて、それでいて情熱に溢れた人柄が本当に大好きだ。3106 さん、僕にはあなたが必要だ。
Trk- 2 XD ムッシュビ♂トが音楽活動をスタートしてからすでに11年が経過していて、そのキャリアにおいて様々なネットレーベルよりリリースしてきた音源は発 表の度に幅広い音楽性を纏っている。例えばエレポップ、ニューウェーブ、ロック、エレクトロニカ・・・とか、そういった音楽のエレメントを各楽曲に投入し ながらも、あくまでもその歌であり歌詞/言葉を届かせることをリスナーとの関係性における第一義とするが故に「シンガーソングライター」であることを標榜 する、彼はそんな非常にユニークなアーティストだ。リリース毎に徹底したマーケティング・リサーチに行ってそれに基づいたギミックを用意し、世間の興味関 心をなんとかして自分に向けさせようという遠心的なアプローチが、彼の音楽の本質をリスナーにわかりづらいものにしていたのは確かなことだったはずなのだ が、2012年7月に迷われレコードからリリースされた稀代の傑作「XD/FIT」にて、彼は自身の音楽の本質的な側面へと華麗にターンする。短冊形CD シングルを模したジャケットが印象的なこの2曲の持つ「求心力」こそがTheムッシュビ♂トの本質そのものであり、このシングルは「Theムッシュビ♂ ト」の活動が次のフェイズへとシフトしたことを高らかに宣言するものであった。そのうちの一曲、この「XD」はアグレッシブなダンス・チューンで、当時彼 がライブ時に使用していたというインカムマイクを歌録りの際に用いたためVoパートの高音域が明らかに割れてしまっているのだが、そんなテイクを彼が採用 したのはいわゆる音圧至上主義、または低音域と高音域とが強調された「ドンシャリ」的な音質が持て囃される世の中への明確な「No!」という異議の表明で ありそれらに自分は迎合しないのだという意思表示だろう。また、彼の他の楽曲では見られないマッチョイズムに依拠したような歌詞も、この時点での彼の決意 を感じさせるものであった。
Trk-3 百日紅 その「XD/FIT」に先立つ2012年3月、迷われレコードより2枚同時リリースされて話題を呼んだシングル「ポップ作家と妖精某」と「そこから、何が 見えるか」は、それぞれ表題曲がのちにリリースされるアルバム「キラーチューンズ」に収録されたことからもわかるように、Theムッシュビ♂トの創作活動 が非常に充実していた時期のドキュメントである。自分の人生を切り売りする私小説作家の悲哀に自身を投影したメタ作品である「ポップ作家と妖精某」、彼の 内面から吐き出される負の感情が均衡を失いつつも不思議な美しさを湛えた「そこから、何が見えるか」の2曲ともに不穏なムードに支配された作品であった が、「ポップ作家と妖精某」のB面に収録されたこの”百日紅”という楽曲はそれらとは一変してTheムッシュビ♂トが好んで使う分数和音を主にしたコード 進行が特徴的なエレポップ・チューンで、楽曲自体は2005年に作られたものだという。彼の作るラブソングの多くが対象との別離や衝突、すれ違い、それら から生じる悲哀にその主眼を置くものが多いのだが、この曲では珍しく対象との恋愛関係が既に成立している状態から歌われていて、好きな人と一緒に享受する 何気ない四季の彩りが描かれるさまはまるで生(性)の祝祭のようであるが、前述した2曲のアトモスフィアはその多幸感に影をさす。この幸せな時間もいつか はすべて終わってしまうのだ、という不安や諦めがどこかこのキャッチーなポップ・ソングにつきまとっているようだ・・・とするのは穿ち過ぎであろうか。な お、この曲の終盤ではアニメ「けいおん!!」のOP 曲「Utauyo!!MIRACLE」のフレーズが引用されているのだが、「Fuck Real Life,Anime Is Real Life」を高らかに掲げたMeishiSmile~Zoom Lens〜Magic YUME勢なんかを例に挙げるまでもなく、いま現在国内外のあるインディーなアーティストたちを語る際に日本のアニメ・カルチャーやゲームなんかからのイ ンフルエンスについてはもう避けては通れない程に強大なものになってきているし、その辺の事情をアニメに造詣の深い方が纏めてくれないものかと。で、その方にこの引用についてレクチャーして欲しいなあとか図々しいことを考えたりする。
Trk-4 ときめきガール(Theムッシュビ♂ト×すなちゅ&けい) 例えば。ある特定の個人に好きだと思う曲をいくつかセレクトしてもらって、それらの楽曲群のコード進行や和声の構造、BPMや楽曲の波形、または歌詞の内 容だとか、そういったものを細かくラベリングするという実験を行い多数のサンプルを採ったとしたら。その作業の結果から人々が好むポップ・ミュージックを 作れるのか。もちろん答えは「否」だ。それっぽいものは作れるんだろうけどさ。僕らひとりひとりが音楽に抱いている「想い」であり情熱が、そこには込めら れていないから。そんな、マーケティングとか類型が産み出したものなんかに「音楽」なんてないんだよ。どうして僕らは音楽を愛するのか。熱病にかかったか のように何年も何年も毎日毎日音楽のことばかり考えて、寝食を削ってまでも自分の人生のありったけの時間を音楽に捧げるのか。恐らくその設問に向かうこ とっていうのは、決しておおげさなことではなく「なぜ人は他人を好きになるのか」という人類の歴史上における大命題と対峙することに非常に似通っているん だと思う。Theムッシュビ♂トとすなちゅ(Caro kissa) による、充実したコラボレーション「花束」・「クリスマス・ギフト」に次ぐ3部作の最終章であるこの曲は、僕がなぜ音楽を愛するのか、という疑問に対する あるひとつの回答を与えてくれる。それは、僕の灰色の日常をあっさりと転覆してくれるからだ。もっと言えば、明日も頑張って生きていこうという勇気を僕に 与えてくれるから、である。さらに言うならば、僕はそれこそ「あの人と出会うために自分は生まれてきた!」ってくらいに大切に想っている人のことを絶対に 諦めない・・・!と決意させてくれるからだ。まるでクリスチャンが困難に際して聖書に縋るように、僕はこの曲にいままで数え切れないほど縋ってきた。この 曲は僕のためにあるのではないか、そもそもこれは「僕」の曲なのではないか・・・なんて聴くたびに思いながら。すなちゅの超人的なまでに完璧な歌唱と、 Theムッシュビ♂トのトラックの強度、そしてなによりもクライマックスのラップ・パートの「これがトキメキ 空色のメロディー こんな気持ちはマジで久しぶり 前代未聞の被害妄想 想像以上の恋愛感情 全然自信が無いなんて もう言ってられない最終戦争 LOVE」という歌詞は、僕がもう何年もの間好きで好きで仕方のない、寝ても覚めてもその人のことばかり考えているみたいな人を前にしたときに、自分自身 への劣等感のせいでもう自分なんかダメなんじゃないかと後ろ向きになったり自暴自棄になったり、そんな僕のくっだらない「日常」をいつも蹴り上げてくれ る。自分の背筋を伸ばしてくれるものだ。「君が好き」・・・それって、なんて素敵なことなんだろう。だから、「あなた」も絶対に、大切な誰かを諦めるな。
Trk-5 アイドルの歌(kangaroo girls cover) 2013年7月3日、ネットラジオ番組「ホームランズの楽しいおしゃべり」にTheムッシュビ♂トがゲスト出演した際に番組内限定で公開された作品。音源 化は当他薦ベストが初となる。Theムッシュビ♂トとも縁の深い迷われレコード主宰、山岡迷子氏のユニットkangaroo girlsのカバーであるのが、僕は申し訳ないけれどもこの曲の本題であるところのアイドルって全然興味ないし、ならはば”Every man to his trade”という慣用句に身をまかせて、アイドルに造詣が非常に深い僕の10数年来の親友であるなかがわゆうすけ(個人事務所caravan主宰)にこの曲の解説に関しては一任した。以下が彼が書いた解説である。

(注・当ブログの都合により削除しました)

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Trk- 6 恋はいじわる? 初出はボカロPエリアルとのコラボとして、Theムッシュビ♂ト×エリアル名義でリリースされたEP「初音ミクsings”恋のいじわ る”ep」のシークレット・トラックで、のちに過去音源をまとめてネット上で「mp3フォルダ4枚組BOX」としてリリースするという、その奇抜なアイデ アばかりに注目が行きかわちであった「Theムッシュボ♂クス(monsiurbox: 4folders of mp3 in the box)」のフォルダ4(注・「ディスク4」的なもの)、セルフ・コンピレーション・アルバム「俺を変電」にも再収録された小品。ちな「に「俺を変電』の タイトルは椎名林檎の「私と放電」のパロディだそう。EPのタイトルトラックである「恋のいじわる」の、例えば小泉今日子がカバーしたことでもお馴染みの ザ・スクーターズの「東京ディスコナイト」的な、モッド・リバイバル経由のモータウン歌謡をボカロ的世界感へと引き摺り込んだかのような異物感もなかなか に魅力的なのだが、個人的な好みからこの楽曲をセレクトした。Theムッシュビ♂トの作品の多くが90年代後半の宅録ブームの名残りを感じさせるものであ るが、この「恋はいじわる?」などはまさにそのローファイな宅録感が前面へと押し出された、彼の他の楽曲と比べると著しく地味ながらも小さな小さな美しさ をたたえたトラックだ。「ローファイ」というタームが出てきたので、彼の使用機材のことだとか、彼が主宰するネット・レーベル「Positive Records」の運営状況についても触れておこう。例えば10代の若者がGarageBandやAbletonなんかを使って音楽制作を行って SoundcloudやBandcampなどに楽曲をアップして・・・なんてことが日常となったDTM全盛の現代において、Theムッシュビ♂トが自室ス タジオにセッティングしている機材類というのは極めて簡素なものだ。YAMAHAのシーケンサーQY-700、ZoomのMTR(最近ではCubaseを 導入したようだが)をメインに、マイクすらコンデンサーではなくダイナミック(!!)である。それこそ、宅録時代の学生が使っていたような機材で、The ムッシュビ♂トの楽曲のほとんどが録音されてきたのだ。また、彼のPositive Recordsに関しても、今年に入るまで自宅にネット環境が整備されていなかったという理由で、リリースに際しては毎回自宅近くのネット喫茶にて iTunesをダウンロードするところから始めて、自身のBandcampに音源をアップロードする作業のほとんどをネット喫茶にて行っていたという。2 年前の夏にPositive Recordsからリリースされた「LO-FI♡30代/コモドオオトカゲ属a.k.a.ぽこ先生」 に至っては渋谷のビデオ試写室の一室にてリリース作業が行われて世に放たれた・・・って、それはさすがにホントかよって言いたくなるのだが、これは、例え ば、近年の海外におけるlo-fiムーブメント、「Seeing Little Ghost Everywhere」のころのRicky Eat Acid とか、あの辺に僕はどっぷりだったのだけれど、実質的にはものすごくハイファイなものというか、サウンドを敢えて「汚す」ために録音方法のひとつとして ジャンクな機材を使用して、それらをPC上で加工して、というものがあの頃はほとんどだったと思うのだけれども、Theムッシュビ♂トというアーティスト はそれらのアーティストたちとは根本的に異なる録音環境/配信環境であるのだろうし、良くも悪くもその存在そのものが根底から「ローファイ」なのだ、とい うことがお分かりいただけるエピソードではないかと思う。
Trk-7 瞬く夏 機材がどうだとか波形がどうこうだとか、そういった ものには自分は興味がない、僕はトラック・メイカーではなくシンガー・ソングライターなのだ・・・要約するとそういったようなことを「XD/FIT」の発 表以降のTheムッシュビ♂トは頻繁に口にするようになったのだが、そんな本人の意識と世間のTheムッシュビ♂ト像、すなわち堅実的なポップ職人である というような一般的なパブリック・イメージとには明らかな乖離がある。彼がそのことにフラストレーションを抱えてる姿がよく見受けられたりもするのだけれ ども、それはさておき。なぜその「乖離」が起こったのか。端的に言うならば、彼が2009年にリリースした3rdアルバム 「monsiurbeat3:33 (Must) Be
Happy!!」において展開されたポップ・サウンドの即効性、衝撃性が当 のTheムッシュビ♂トが想像している以上に大きすぎたため、であろう。過去2作、すなわち2003年の1stアルバム「monsiurbeat1.0 cargo」、2004 年「monsiurbeat2.22 2G(R)」で関西アンダーグラウンドの自由度の高さを全身で浴びて「実験性」と自身の「ポップ」への執着心とをクロスさせることによって産み出されたも のを純粋に形にしていった結果、まるで自意識が肥大化した美大生が観念ばかりに囚われて作ったような作品へと収束していってしまった(注・彼の 1st/2ndの収録曲のいくつかにはのちの彼のポップ・センスの萌芽を見ることも出来るが、そのほとんどが僕にとっては聴くに耐えない代物であるし、今 回の企画でもその2作からは一切セレクトしていない)、そんな体の前2作から格段の進化を見せたこの3rdアルバムは、彼の熱心なファンの多くが彼のベス トに挙げるのではないかと思う。「石稲りんこ」というキャラクターが描かれたジャケットのアニメーションが持つライト感そのままに、楽曲毎にゲストを呼ぶ ことによって著しく拡がりを見せた音楽的なバリエーションのなかで彼本来のポップ・センスを開花させたこの素晴らしいポップ・アルバム(とはいっても、収 録曲「天使のいない11月」は、自身の内面の混沌、絶望をノイズに託したという痛々しいものであったりもして、そういったトラックをこのアルバムに忍ばせ るあたりは彼らしいと言えるのだけれども)は、いまをときめく若手トラック・メイカーSEKITOVAが当時フェイバリット・アルバムとして挙げていただ とか、今作がネットリリースされる際にリミキサーとして参加しただとか、ある人々にとってはまるで神話のようだと認識されるであろう事実を列挙するまでも なく、このアルバムは彼にとってのブレイクスルーであった。そして、「monsiurbeat3:33 (Must) Be Happy!!」で絶対に外せない楽曲が、村上亜賢がギターで参加した「ラヴレター」と「瞬く夏」だ。Theムッシュビ♂トがプロデューサーとして関わっ た村上亜賢の2012年の1stアルバム「呼吸」は突出した求心力を持った珠玉の作品であったし、「ラヴレター」という楽曲も村上やTheムッシュビ♂ト のファンにとっては宝石のような一曲であるが、僕は昨年の10月に大阪の阪急茨木市駅前で、村上がアコギ1本の弾き語りにて同曲を演奏するのを目撃してい て、その際の歌・演奏が正直なところ原曲の20倍くらいよかったので今回は選から落とすことにして・・・「瞬く夏」だ。僕にとって、この曲はTheムッ シュビ♂トのロマンティシズムを結晶化したような一曲だ。大好きな人と夏の花火を一緒に見るという約束を取り付けた男は、この曲の中盤でこう呟く。「三十 路も手前になると 取り巻く世界は数字ばかり 四季のある国に生まれたのに 感受性も放置され侭」・・・。人生における「恋愛」の比重なんて(一般的に)年々低くなっていくものだし、社会に出てちっぽけな権限の代わりに大きな責任 を背負わされた多くの人にとっての毎日なんて、一言で言うなら「予算」に支配されたかのような日々だったりするんだと思う。毎日必死で汗水垂らして働い て、あるかないかわからない休息の時間にも仕事のことでアタマいっぱいだったりして(そういう人たちを「社畜」だとかなんとかって嘲笑う連中にはこの世の ありったけの不幸が舞い降りますように!)。けれども。だからと言って。そんな「数字」にまみれた日々を過ごしている人間が誰かを大切に想う気持ちが、例 えば恋愛に全神経・全時間を投入出来るような若者たちと比べたときに、雑念にまみれたものだとか、純粋なものではないって誰が言えるんだ?三十路を遥かに 超えた僕にとっては、この曲で描かれているような「恋愛」の風景はものすごくリアルに響くし、ストレートに感情移入することができる、そんな大切な一曲 だ。
Trk-8 青春の輝き(Studio Session 2013.10.09) Theムッシュビ♂ト(Dr ノブ・Baユタカ・Gt村上亜賢) 2013年10月9日~10日の2日間、僕は4thアルバム「キラーチューンズ」を数日前に完成させたばかりで、秋のM3での発売を間近に控えたThe ムッシュビ♂トの取材のために大阪茨木へ訪れている。その際に、村上亜賢やBaaBooFAZ(茨木のオルタナティブ・ロック・バンドで、Theムッシュ ビ♂トがKey として参加している:関連エントリー)のノブ、エイジ、ユタカ(現在はバンドを脱退し、村上亜賢のバックならびにAshrebでベースを担当していたが、Ashrebも脱退、村上と新バンドPig Marryを結成した模様)、のちにBaaBooFAZに加入するアヤ(こちらも現在は脱退)と引き合わせていただき非常に充実した時間を過ごす ことが出来たのだが、初日の夜に村上の発案で彼らのホームである茨木の音楽スタジオD-studioに入って音を出して遊ぼう、ということになった。遠方 からやってきた僕に正式なものではないにしても実際に音を聞かせよう、という彼らの粋なはからいからスタートしたこの企画は、蓋を開けてみたら各々の演奏 が過剰な熱量を帯びてスタジオ・ライブへと発展する結果となった。その「ライブ」では担当楽器を各々が入れ替えて、Voをとる人間が自分の代表曲をプレイする・・・といった様相を呈したのだが、ここに収録したテイクこそがこの日演奏された「青春の輝き」(4thアルバム「キラーチューンズ収録曲)のセッ ションの模様だ。Vo/KeyがTheムッシュビ♂ト、ギターが村上、ベースがユタカ、Drがノブ・・・という珍しい布陣で、僕がインタビュー用に持参し たモノラルのICレコーダーで録音したもの。当楽曲はアルバム「キラーチューンズ」の収録曲としてゲストにBaaBooFAZを迎えてスタジオ一発録りで 録音されていたため、このセッションの時点でノブ/ユタカは曲を知っていたが村上にとっては初見の曲であり、演奏が始まる前に村上が口頭でコード進行を Theムッシュビ♂トに尋ねていた姿が印象的であった。録音自体がそういった性質のものであるし演奏のクオリティもはっきり言って酷いものだが、この他薦 ベストの話が持ち上がったときに僕はこのテイクだけはなにがあっても収録しようと決めていた。というのも、大阪茨木に出かけていってリアルに触れた彼らの人柄/人間性、ミュージシャンシップ、またはスタジオや駅前や公園などで日常的に繰り広げられているという彼らの熱いセッションの姿がここに刻み込まれて いるからだ。性格も年齢も音楽的指向性も異なる人間たちがお互いをリスペクトし合って、ときにはライバル意識を燃やしたりしながらも切磋琢磨して、お互い がお互いの住む部屋を行き来したりして小さなコミュニティを築き上げて、皆で一緒に生きている光景を目撃出来たことはこのときの茨木取材のなによりもの収 穫であったし、そしてそれは実際に茨木に訪れなければわからなかったことなのだ。「インターネット」にすべてがあるわけではない、そんな当たり前のことに 気がつかせてもらった僕はそれ以降彼らのライブは見れる限り見ようと決意し、ライブが行われるたびにせっせと自分の住む岡山から大阪方面への新幹線に飛び 乗り続けることになるのだが、またはそれは別の話。このセッションに話を戻そう。「青春の輝き」のタイトルはもちろん、カーペーンターズの76年の大ヒッ ト曲から引用されたものだが、Theムッシュビ♂トがカーペンターズに影響を受けた・・・ということではなく、単純に楽曲の持つ刹那感にフィットしたため にそう名付けたもの、と見るべきであろう。そのタイトル通りに感傷的なこの曲のセッションにおいて、Theムッシュビ♂トはその場にいる「仲間たち」を全 力で抱きしめんとするかのように、瑞々しくも力強い後半のトーキング・パートで「キラーチューンズ」収録のVer.以上のエモーションを放出していた。そ れを彼のキーボードスタンドの真横で心を震わせながら聴いていた僕が、このテイクをこういう形でリスナーの方々とシェア出来るということは、本当に幸せな ことだと思う。
Trk-9 東京より遠くへ Theムッシュビ♂トの活動10年目の節目となる2013年の10月にリリースされた4thアルバム「キラーチューンズ」は、紛う方なき傑作であった。 フィジカルCDでのリリースとなった「キラーチューンズ」は、帯に掲げられた(本作には、緩急はありますが遊びや実験性はありません。ポップミュージック という媒体を使用したTheムッシュビ♂トの恋と愛と魂の記録です。「ヒトがヒトを好きになること」への暫定的回答としての4thアルバム、遂に解放!) というキャッチコピーからも彼にとっての意欲作であることが充分に伝わってくるし、シングル「XD/FIT」にはじまったチャプターのひとつの終着点であ り、もしくは「XD」にはじまり「FIT」で終わるコンセプト・アルバムという見方もできるだろう。前作「monsiurbeat3:33 (Must) Be Happy!!」で構築した方法論、すなわち各楽曲にゲストを招いて音楽的なバラエテイを膨張させることにより、その時点での自身の「ポップ」をリスナー に最大公約数として提示する、は今作でも継承されている。ぷに子、イクタエイジ/ノブ(BaaBooFAZ)、村上亜賢、久遠みへき、青takahiro 猫(Caro kissa)、ミンカ・パノピカ、そしてBaaBooFAZのゲスト参加によって膨らんだ楽曲のバリエーションは、それぞれ再生している曲が次の曲へと移 行するたびに目の前の景色が一変して行く錯覚すら起こさせるほどに富んだものとなっている。この多様な楽曲群を携えるアルバムが最初から最後までひとつの 統一性を保つことを可能たらしめたものは、自身をシンガーソングライターとして認識しつつも、内面の吐露に終始することなく第3者的視点から冷徹に批評的 態度を持ち続けた、言い換えるならば「プロデューサー」的観点から自身を客観視し続けた、そんな彼のスタンスなのであろう。そして、この「キラーチューン ズ」における最重要ナンバーこそが「東京より遠くへ」だ。スポークン・ワード的というべき平坦なメロディーに言葉/音数を詰め込む という手法は、例えばTrk-7 の「瞬く夏」にも見られるが、ここではより洗練されたものとして受け手に届けられる。ビートルズの「イエスタデイ」から引用されたサブタイトルの「All My Troubles Seems So Far Away」が示す通りに、この曲で歌われるのは秋の日の夕日に見た寂寞だ。恋愛における喜怒哀楽、出会いから別れまで、それらがすべて終わったあとに訪れ た心の平穏だ。Theムッシュビ♂トは、それらを肯定も否定もせずに、ただ「シンガーソングライター」として、聴き手に投げかけるだけだ。楽曲の中盤、彼 が得意とする転調(かつて彼はそれを「J-POP特有」のものであると発言していた)ではなくたった一個のコードチェンジによって「時間と世界の加速の速 さ」を表現するところから、言葉数がBPM以上の体感速度をリスナーに与える、いわば楽曲が「加速」していくさまは圧巻である。「嵐のような 絶え間ない笑いと苦悩の日々を 走り抜けていった でもこの抜け殻に また水は染みていく」という歌詞は、彼が10年間の活動を経て辿り着いた場所、すなわち自身の体験を歌にするという制作活動からの「解放」を伝えるもので あり、この楽曲の完成をもってTheムッシュビ♂トは自身と音楽との関わり方を根底から変えなければいけないという、ある種の強迫観念にも似た苦悩を抱く ようになる。故に「キラーチューンズ」発表後現在(2014年10月)に至るまでの1年間、彼はプロデュース作や提供楽曲を除くとただの一曲も新曲を公開 していない。ライブでは新曲「スタンド・アローン」を披露しているが、初公開時に「軽い気持ちで作った曲なので軽い気持ちで聴いてください」というMCを 挟んでから演奏されたことからも分かるように、「スタンド・アローン」は「東京より遠くへ」からの彼の次のステップとしてではなくあくまでも番外編的な位 置づけであろう。果たして、Theムッシュビ♂トは「東京より遠くへ」で終わってしまったのか?これがTheムッシュビ♂トという「物語」の終着点なのだ ろうか?
Trk-10 エヴァーグリーン 4thアルバム「キラーチューンズ」収録曲。アルバムタイトル「キラーチューンズ」、収録曲「エヴァーグリーン」・・・って、このアーティストは誇大妄想 狂ではないのか?と、アルバムリリースのアナウンスがなされてトラックリストが公開されたときには正直一抹の不安を覚えたものだが。Theムッシュビ♂ト の歌詞にはしばし四季の彩りやそれらが与えてくれる心の豊かさについての言及が見られるが、それらを自己のアイデンティティにまで昇華してみせたのがこの 曲だ。「穏やかさを望む人の ざわめく木立ちに耳傾け 夕暮れを望む人の 朝焼けを見つめる為の音楽」という一説は、自身の内面を直情的に吐き出すだけではなく、季節の移ろいにその想いを投影することによって受け手に届けるとい うスタンスの表明であり、それは日本古来からの「歌」の伝統をその精神性の部分で自分は継承するのだという宣言ともとれる、そんな歌だ・・・って、やっぱ りこのアーティストは誇大妄想狂なんじゃないか?
Trk-11 FIT(Live at難波紅鶴 2014.3.2) ポップ・ミュージックを弱者の救済の歴史であるとするポップ・ミュージック史観を僕は支持する。ポップ・ミュージックは、例えば社会 性の欠片もないような若者たちにバンドを組むことを教えて彼らに居場所を与えたりといったミクロなレベルから、人種や性差などによる差別や抑圧に苦しむ若 者の意識を変えたりといった比較的マクロなレベルに至るまで、数多くの弱者を救ってきたことは確かだろうし、暴論のように見えてポップ・ミュージックのあ る一面を確実に捉えているはずである。対象を「弱者」に限定しなくても、ポップ・ミュージックは多くの人たちにとってなにかの契機になってきたのだろう し、これはパンクに顕著なものであるけれども、行動力の敷衍というか、要するに自分でも出来るんだ!というマインドでアクションを起こすことをリスナーに 促すものというか。だから僕はポップ・ミュージックを愛しているんだけど。そして、弱者云々に絡めて言うならば、Theムッシュビ♂トがその音楽でもって 救済せんとするものこそ、恋愛における「弱者」、すなわち彼自身の無様な姿である。恋愛の色んな場面で、惨めったらしくて、自分に自信がなくて、他人と自 分を比べて卑屈になってどこまでも(勝手に)傷ついたり臆病になったりとか。それがまるで当たり前のことのように、恋愛っていうのはどこまでも残酷なもの で、誰かを好きになった瞬間に強制的にその「現場」に放り込まれて、勝者/敗者とか強者/弱者がくっきりと明暗を分ける、不条理極まりない世界だ。本当は そんなことを考えることがくだらないことだなんてわかってる。勝ち負けがどうこうとか、そんなものじゃないっていうことはわかっている。けれども、どこか にうまくいっている人間がいるということ、自分はうまくいっていないということ、その2つは人をどこまでも駄目にさせる。Theムッシュビ♂トの現時点で の代表曲である「FIT」は、これまで間違いなく彼にとってのセルフ・ヒーリングの装置として機能してきた曲だ。自身の歌の力量にコンプレックスを常に感 じていた彼が、はじめて自分のヴォーカルにほとんどエフェクトをかけずに楽曲の前面に押し出したこと。そのことは楽曲制作の際に自分の歌をメインに据えた 曲を作るという、それまでになかった選択肢を彼に与えたはずであるし、それよりも。歌詞における言葉・単語のセレクトに相当な神経を使ってきた彼が、「僕 の心が 君の心に そっと寄り添えることを 信じて 自分を守る為の言葉を全て棄てて 丁寧にいま歌うよ」という一説に象徴されるようなストレートなラブ・ソングを歌いきったということは、彼に「恋愛弱者」としてのありのままの自分を、卑下 することも尊大になることもなく受け入れるということ、まさしく「愛すること」を教えたはずなのだ。当他薦ベストのクロージング・ナンバーとして、今年の 3月に大阪はなんばの難波紅鶴というイベントスペースで行われた企画ライブに彼が出演した際に繰り広げられた、30分くらいの短いライブ・パフォーマンス の最後にプレイされた同曲を、あの日演奏されたライブ・バージョンでお届けしたいと思う。この日のハコはライブハウスでもクラブでもなく、普段はトーク・ イベントやインディー・アイドルとかのライブを行っている場所らしくて、モニターもない、演奏時の音量にも限りがある(とはいっても、これでは自分の音楽 が死んでしまう!と、彼はギリギリまでの音量を出すことを主催者・ハコに要求したようだが)という、パフォーマーにとっては決して恵まれた環境であるとは いえない状況の中、彼は堂々たるパフォーマンスをやり遂げた。ライブという「現場」は彼にとって楽曲の追体験の場所として認識されているのだろうし、だか らこそその身を削って生み出してきた曲たちの背景をもう一度生き直しているかのような切迫感のある歌の数々に、僕なんかは呆然として聴き惚れたのだけれど も。そのライブの最後に彼が持ってきた「FIT」の後半のMC・・・それは皆さんに実際に聴いてもらいたいなと思う。僕がここでタネ明かしみたいにしてア レコレと書くのは野暮なマネでしかない。・・・ただ。いまでも僕はこのライブ・テイクを聴きながら思う。僕は絶対に、自分が大切だと思うあの人を諦めな い。たとえ傷ついたとしても、自分は前に進む。大切な人と一緒に過ごしてきた時間を、あの人と一緒に生きてきた、本当に素敵だとしか言いようのない日々を 僕は信じる。僕は、これからもきっと迷いながら、それでもこれまで僕自身が歩んできた道を信じて、大好きなあの人と共に生きていくんだ。・・・そんな想い が破れ果てても、僕は決して卑下することなく、誰かを真剣に夢見たことを小さな誇りにして、またいつか歩き出すんだ。「FIT」という曲は、恋愛において 底抜けの絶望のなかで傷ついてきた「弱者」・・・もう書くまでもないだろう?それは他の誰でもない、「僕」や「あなた」のことだ。僕たちが前向きに生きて いくんだっていう決意や覚悟へと、あくまでもそこに自発的に辿り着くことを、どこまでも優しく促す曲なんだ。そんな僕らにも微笑む青空なんだ。希望そのも のなんだ。惨めったらしくてもいいじゃないか。一緒に前に進もうぜ。一緒に生きて行こうぜ。Join Together with the Band!
そして、僕はこの長文におけるひとつの結論に達しようとしている。Theムッシュビ♂トの音楽っていうのは、そう、「僕たち」そのものだったんだよ。

こ こからは、昨年のM3にて頒布された「他薦ベスト」のCDRのライナーノーツには一切書かれていない「あとがき」。昨年、このライナーノーツに取り掛かっ ていたときに思い描いていたものとはまったく異なることをここに記そうと思う。僕がTheムッシュビ♂トと出会ってから今に至るまで、もう語り尽くせない くらいにたくさんのことを僕らはシェアしてきた。先日のエントリーに当時のことを詳しく書いたインドネシアのTokyoliteのリリースを皮切りにして、彼がプロデュースした女性シンガー沙糸しろたまの”君に届け”を、アメリカのアンビエント・アーティストOrca Lifeがリミックスし、当ブログでプレミア公開して話題を呼んだり(こちらのエントリー)、またはそのリミックスが米巨大メディアサイトNoogaにてレビューされたり(この記事です)とか。僕らは単純に、それらの出来事にとても興奮してきたし、僕らがやっていることは間違いなく誰かに、それが海の向こうの誰かにすら届くんだ!という喜びに打ち震えたものだ。も ちろん、僕らが分かち合ってきたものは決していいことばかりではない。お互いの非力さ、不甲斐なさが故に思う結果を得られず、悔しさから何時間も何時間も そのことについて話したりとか、そんな日はいくつもあった。そして、昨年の10月12日の朝、この他薦ベストの完成を目前にして、今にして思えばほんの些 細なすれ違いが切欠となって、僕はTheムッシュビ♂トと袂を分かった。・・・のだけれども、いま僕は。もうきっと自分がそれを書 くことはないだろうと思っていた、この「他薦ベスト」のあとがきを書いているんだ。2014年秋に僕らが予定していたように、M3での他薦ベストCDR頒 布→当ブログにてweb公開→彼の新作EP「FLYING EP」公開というようにはならなかったけれども、遅れに遅れたTheムッシュビ♂ト新作EP「FLYING EP」のリリースを目前に控えたこのタイミングで、これをweb公開するということが「FLYING EP」の追い風になることを願うし、なによりも。誰も予期しなかったような幸せな時間に僕ら皆が向かっている、もしくはそんな至福へと大きな何かに導かれ ている、そんなことをいま僕は強く感じている。

僕はこの他薦ベストの完成前にTheムッシュビ♂トに大きな不義理を働いた身なの で、彼にこれからも共に戦って行こうなんてことを軽々しく言うことは出来ない。それでも、例えば。僕が中学生のときに読んで感銘を受けた、Judas Priestの78年の名作アルバム『Stained Class』のライナーノーツに伊藤政則氏が寄せた一文、「ジューダスプリーストよ、僕は歩兵でいい。喜んで最前線に切り込んで行こう。今更遠慮なんてす るなよ。かまうことはない、この僕の体を踏み越えて、さあ栄光の王冠を握ってくれ。」のように、いつか僕は彼の歩兵となって、彼が栄光を掴まんとするその ときには真っ先にこの身を捧げようと思う。これから10年後、お互いに生き延びることが出来ていたなら、いつかふたりで誓いあったように。いまよりももっ ともっと上のステージで、僕の技量不足によって公開出来なかったインタビュー企画をやろうじゃないか。そして、この他薦ベストのパート2をやろうじゃない か!多分、そのときは僕からアタマを下げて「選曲・解説を僕にやらせてください!」と懇願しないといけないくらいにあなたはビッグネームになっているのだ ろうし、それでもきっと。あなたは僕が大好きな笑顔を浮かべてそれを承諾してくれるのだろうなと、いまそんなことを思うんだ。
作詞・作曲・編曲/松永剛寛=Theムッシュビ♂ト(@monsiurbeat@positive_rec) monsiurbeat.jimdo.com
(Except for Tr-5 作詞・作曲/山岡迷子)
選曲・執筆/古川敏彦(@Furukyan) sittingbythechurchwithdan.wordpress.com
(Except for Tr-5/執筆/なかがわゆうすけ)
デザイン・レイアウト(CD版)/渡邉望(@air_sonshi) nozomuwatanabe.com
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ボーナストラック?シークレットトラック?そのどちらでも構わないのだけれど。
1年半に渡る沈黙を破って、Theムッシュビ♂トがとうとう動き出した!昨年末に彼のSoundcloudにてストリーミングのみで公開された新曲”てのひらの7つ星”に続き、彼の新作「FLYING EP」が今週末、というよりも。2015年のバレンタインに迷われレコードよりとうとうリリース!そしてそれに先駆けて、EPのトレイラーが彼のSoundcloudにて公開された。

きっとこのことは誰も言わないだろうし、そもそも誰も気がついてすらいないかもしれない。だから、僕が言わなければいけないと思うんだ。彼はこのトラックにおいて、当ブログでプレミア公開した沙糸 しろたまの”君に届け”のOrca Lifeリミックスを素材として使っている。あのとき、誰も想像していなかっただろ?ウェストバージニアのアンビエント/ドローンのアーティストがさ、大阪茨木のアーティストがプロデュースした女性シンガーの曲をリミックスして、Noogaみたいな僕らにはどうやったって手の届かないような巨大なところに取り上げられてさ。このトレイラーはそんな、僕らが成し遂げた小さな小さな奇跡をいまでも自分は大切にしているんだ、っていう心のこもったメッセージカー ドを付けて、Theムッシュビ♂トがクリス(Orca Life)、僕・・・そして。誰よりも沙糸しろたまに届けようとした花束なんだろうなって。このトレイラーにかこつけて、僕はどうしても自分にとって世界 で一番大切なあの人にここで言いたいことがあるんだ。もうこんなのレビューでもライナーノーツでもなんでもないことは自覚しているけれども、この他薦ベス トは「Theムッシュビ♂ト×古川敏彦」名義のものだから、これは僕の「物語」でもあるんだ。僕はこのライナーノーツのTrk-9”東京より遠くへ”でこ う書いた。「果たして、Theムッシュビ♂トは「東京より遠くへ」で終わってしまったのか?これがTheムッシュビ♂トという「物語」の終着点なのだろうか?」そして、彼は終わらなかった。だから、っていうわけではないけれど。僕の物語もまだ終わるわけにはいかないんだ・・・っていうかね、俺は、俺とあの人との関係は、まだこんなところで終わるわけにはいかねえんだよ!!!

君が好きだ。君が世界で一番好きだ。自分の全存在を賭けて抱き締めに行くから、待ってろ。

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