Live at the Showbox 1979 by The Heaters

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シアトルのGreen Monkey Records(FacebookWebより2011年にリリースされていたThe Heats(Facebook)の、バンド結成からちょうど1年目の1979年、サンクスギビング・デーに行われて地元ラジオ局でエアプレイされたフリー・ライブの音源。ぼくはこの音源がリリースされた2011年頃からBandcampを熱心にチェックするようになったのだけれど、これは完全に見落としていた。一端のディガーを気取っておいて、自分はなにをやっていたんだろうと思う。

LAに同名異バンドが存在したことからThe Gears、The Torpedoes、そしてThe Heatsとバンド名の変遷を辿る以前のThe Heaters名義でのこのライブは、2003年にEpilogue Recordsからリリースされた2枚組ライブ・アルバム「Live & Live Again」に収録されているものよりもとても生々しく、一級のライブ・バンドとしての彼らのタフなプレイとそれを受けての会場の熱気とをダイレクトに伝えてくれるものだ。The Heatsというとブリティッシュ・インベイジョン的な”Some Other Guy”やスライド・ギターが特徴的な”Call Yourself A Man”、または本人たちとしてはノベルティ・ソングのつもりだったらしい1stシングルの”I Don’t Like Your Face”の印象がどうしても強かったせいで、レイド・バックしたバンドだという認識をぼくは持っていたのだが、このライブ・アルバムで聴けるソリッドなパフォーマンスはそんなぼくの誤読を軽く蹴り飛ばしてくれるものだった。情感たっぷりの”Ordinary Girls”も、のちの1stアルバム「Have An Idea」には収録されない”She Belongs To Me”も、Dr.Feelgoodの”Walking On The Edge”のカバーも、Dave Clark Fiveの”Anyway You Want It”のカバーもどれもいい。しかし本編終了後のアンコールで繰り広げられるカバー2連発、Chris Speddingの”Hurt By Love”とDave Edmundsの”Readers Wives”が放つ圧倒的な熱量には本当に震えた。この精強でアグレッシブな演奏こそが、The Heatsのスタジオ音源からは抜け落ちてしまった、バンドの初期にマネージャーを務めたJon Kertzerが「アティテュードとステージ上で放つエネルギーにおいてはRamonesともかけ離れたものではなかった」と語るところの、The Heatsがノースウェストのクラブ・シーンで繰り広げていたライブの真価というべきものなのだろう。これには本気でぶっ飛ばされた。

The Heatsの1980年のアルバム「Have An Idea」といえばアメリカン・パワーポップの傑作中の傑作として名高いし、10年くらい前にはAir Mail Recordingsから日本盤CD(←すいません、買ってません。。)も出ていたのに、The Heatsがどんなバンドでどのように結成されたのか、どのような交流関係があったのか、などをつぶさに語る日本のWebやブログなどがネット上でなかなか見当たらなくて。Discogsが発展して、かなりマイナーなバンドのディスコグラフィーまで容易に知ることが出来るようになったことは非常にありがたいのだけれど、こういったバイオグラフィー的な情報の需要というのは逆に縮小してしまっているのかなとか、そもそもSNS全盛の今日では手間暇かけてしっかりと文章を書く人も少なくなってきてるのかなとか、色々考えつつ。海外のサイトを探していて見つけた、シアトルのレコード・ショップJive Time Records(WebFacebook)によるこちらの記事。これが凄い。The Heatsについて求めていたことはここに全部書いてあった。おそらくこの先、The Heatsに関してこれだけの分量、これだけのクオリティを誇るテキストに出会うことはまずないのだろうな、と思う。

このJive Time Recordsは自身のWebページにてNorthwest Music Historyと題して、ノースウェストの音楽シーンを彩ってきたミュージシャンやレーベル、レコード店、ライブ会場などについて丹念な調査をもとに記した小伝のアーカイブ化を行っていて、ローカルなレコード店が地元の音楽文化を継承し、しっかりと後世に伝えることでその価値を守っていこうという姿勢にぼくは本当に胸を打たれた。そして、このThe Heatsについての記事はちゃんとしたカタチでシェアしたい、パワーポップが好きな友人に読んで欲しい、という思いが自分の内から沸々とこみ上げてきて、いてもたってもいられなくなったので Jive Time Recordsにコンタクトを取り、当ブログへの翻訳文の掲載の許可をいただいた。Jive Time Recordsには最大の敬意と、感謝を。

その1

その2

その3

その4

その5

もともと原文が長文ということもあって、訳したら5万字近くになってしまったため5分割にさせていただいた。自分の力量不足ゆえに何度も匙を投げそうになったが、丸1ヶ月かかった翻訳の作業の間というのは、The Heatsが過ごしていた時間をシアトルで一緒になって体験しているような、とても幸せな時間だった。拙訳ながら楽しんでいただけたら幸いである。

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このテキストには驚嘆すべき点が多く認められるが、なによりもThe HeatsがもともとはThe WailersやThe Sonicsを「オリジナル・ノースウェスト・パンク」と崇拝しその模倣をしていて、さらにThe WailersのBuck Ormsbyをメンターとして、彼のもとでノースウェストのロックンロールの行動様式を吸収していたということ。シングル「I Don’t Like Your Face」のプロデューサーがBuck Ormsbyであったことから、The Heatsと60’sのノースウェスト・ロックンロールとの関係性は伺えたのだが、まさかそこまでノースウェストのロックンロールがバンドにとっての重要なファクターであったとは。これにはThe Heatsの音楽そのものを一から見直す必要性を痛感させられた。

また、パンク・ロックのファンであれば、The HeatsがD.O.A.やThe DILS~Rank and Fileと一緒にライブをしたり親しくしたりしていたという記述には仰天することだろう。まさか、The HeatsとThe DILSのメンバー同士が交流していたとは!これには絶句するばかりだ。「天使たちのシーン」というのはまさにこういう関係性のことではないのか。

それから、Don ShortがThe Heats結成以前にロンドンに一年間滞在し、現地で実際にパブ・ロックを体感したその皮膚感覚がThe Heatsの音楽に反映されていたという事実。このエピソードからぼくが連想したのが、Metallicaのラーズ・ウルリッヒが1981年のバンド結成直後、NWOBHMが勃興するロンドンに赴き、Diamond Headのメンバーの家で寝泊まりしてツアーに同行し、NWOBHMの熱を全身で浴びたことがMetallicaの音楽性を決定づけたという話。Metallicaが初期のレパートリーにDiamond HeadやBlitzkrieg、SavageなどのNWOBHMの楽曲を好んで取り入れ、それらの曲を演奏する際に観客にカバーであることを一切告げなかった、というところまでまったくもって似通っているとは言えないか。Diamond Headといえば、ぼくはDiamond Headのセカンド~サードが世間で「英国的」とか「Led Zeppelin的」とされるときに、どこかそこには国粋主義的なニュアンスがあることにいつも違和感を覚えていて。「Led Zeppelin的」というのであれば、例えばジミー・ペイジがCS&Nの打ち立てたアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターのサウンド・メイキング、さらにはStephen Stillsが推進していた変則チューニングに触発されて「Ⅲ」を制作したという、その米国的なものに積極的に触れて受容していこうというメンタリティーにおいて言われるべきではないのかと。というのも、Diamond Headは結成直後の1977年~1978年のライブでTuff Dartsの”It’s All For The Love Of Rock’n’Roll”をカバーしていて、そのTuff Dartsをキーにして「Borrowed Time」や「Canterbury」を読み解くと、「Lightning To The Nation」と比べたときに難解ですらあったあの作品群の根底には、Velvet Undergroundから脈々と続くNYのロック特有のアート感覚があることを発見出来るからだ。例えば、「Borrowed Time」で顕著となるミドル・テンポの楽曲の持つ質感は、Televisionの「Adventure」の根幹をなすサステインの効いたエレクトリック・ギター中心のサウンド・テクスチャーと同質のものである。・・・というように、ヘヴィメタルを旧来の批評軸から離れてロック、ロックンロールの文脈のなかで解釈、理解する試みをこの数年のあいだぼくは独力で取り組んでいる。特に日本のヘヴィメタルの批評において、過去のロックの影響についてはなんでもかんでも「ブギー」または「ブルース」という指摘に集約してしまうきらいがあって、そのことによって取りこぼしてしまう部分があまりにも大きいと考えるからだ。そして、先日スウェーデンのOn The Dole Records(Facebook)よりリリースされたNWOBHMのコンピレーション「Jobcentre Rejects」に自分と同じメンタリティーを見てとれて、これには非常に勇気づけられた。あのアルバムに高らかに掲げられた”A Nuggets, Pebbles, Rubbles or Killed By Death of NWOBHM.”という文言に込められた、それらのコンピが果たした歴史的役割を、自分たちこそがヘヴィメタルの発掘・再評価運動において担うのだとする意志の、なんと力強いことか!(レーベル)の展開には今後も注目していきたい。

ところで、Metallicaの1stアルバムを構成しているのはよく言われるようにDiamond Headのリフ、私感ではそれに加えてDayglo Abortionsのスピード感であり粗雑さであって、そのDayglo AbortionsがまだSick Fucksと名乗っていた頃からD.O.A.とはともに活動していて、セカンド・アルバム「Feed Us A Fetus」でギターを弾いていたWayne GretskyはのちにD.O.A.に加入したし、そもそもD.O.A.のRandy Rampageがヴォーカルを務めたAnnihilatorはカナダのスラッシュ・メタルの代表的なバンドのひとつとして認知されているわけで。こうして見てみると、D.O.A.を中継点にすればThe HeatsとMetallicaがひとつのファミリー・ツリーのなかで共存し得るわけで。Don Shortがイギリスに滞在したことからMetallicaのラーズの話に繋げたのは満更でもなかったのかな、と。なんでこいつはThe Heatsとは直接関係のないことを延々と書いてるんだと訝しむ方がほとんどではないか思うが、そもそもぼくがパワーポップという音楽から学んだことというのはこういうことなんだよ。自分の嗅覚、センスと知識でもって音楽の体系を自らのうちに再構築していくということ。誰も見向きもしない、瑣末なことと切り捨てられたディテールを丁寧に拾って積み重ねることで、世界の見方を変えてしまうこと。そして、どれだけそのことにぼくが支えられてきたか。

The Heatsにしてもそうだ。アルバム・タイトルのHave An Idea、すなわちアイデアを掴め、自分の考えを持て、己の哲学を抱け、という彼らのアジテーションにぼくは心底ノックアウトされたし、同名曲のイントロに触れて見当識を失ったその体験のあとで、ぼくの音楽の聴き方はまったく変わってしまったんだ。そのことをこのライブ盤「Live at the Showbox 1979」を聴き、そしてJive Time Recordsによる評伝を訳すことで再認識出来たことは自分にとって大きな収穫だった。

そして、The Heatsといえばやはりこの曲、”Devorcee”に尽きると思うのだ。インターネットによって情報が均一化した現代とは違って、この時代に「情報」を得ることは想像もつかないくらいに困難なことだったのだろうし、シアトルという地方都市のこととなれば尚更だろう。The Heatsがそんな背景のなかでどれだけの労苦を重ねたのか、それでもようやく手にしたのであろうパブ・ロックを血肉化した楽曲、ノースウェスト・ロックンロール・マナーに則ったKeith Lillyのスクリームからはじまる間奏部のKingsmen的なホーン・セクション。The Heatsというバンドの「楽曲」への信仰、ロックンロールへのアティチュードが結晶化されたような一曲。本当に、よくこんなとんでもない曲を彼らは作り上げたものだと、盤に針を落とすたびに溜め息が出る。

Jive Time Recordsによる評伝から伝わってくる、外目には恵まれていたように思える周囲の音楽関係者たちによるバックアップ体制も、当然といえば当然のことだったのだろう。60’sのノースウェストのロックンロールをリアルタイムで体験した人々にとって、The Heatsというのは彼彼女たちの悲願、熱望、期待、それらが具現化した存在なのであって、まさしく「祈り」そのものだったはずなのだから。

そして、「Have An Idea」のリリースから40年近く経過した現代においても、The Heatsのロックンロールが切実に響いているリスナーが世界中に数多く存在するという事実。たしかにThe Heatsは商業的成功とは縁遠かったのかもしれないが、例えば彼らの楽曲のなかでもっともパンク・ロック的な”Remember Me”で、アンダース&ポンシア、またはドン・シコーネ的にグロッケンを導入する、その豊かな音楽的バックボーンに裏打ちされたセンスを、今日に至るまで一体誰が持ちえたというのか。

こんなに心が震え、かき乱され、動かされる熱い音楽を演奏しているバンドの名前がThe Heats、「熱」だなんて、本当に出来すぎているよ。The Heatsは真にワン・アンド・オンリー、代替不可能なバンドなんだと、つくづくそう思う。

さて、ぼくはもう随分と長いあいだ具合が悪くて、世の中と極力接点を持たずに日々を過ごしている。たくさんの人に心配をかけてしまって、本当に申し訳ない。調子が悪いだけならばそれでもいいのだけれど、ある時期などは音楽を聴いてもなにも感じない、または辛い気持ちになってしまうばかりで、これまで夢中になって聴いていた盤もほとんど聴かない、毎日の日課になっていたBandcampのチェックもまったくしないという有様だった。それは結局のところ自分の感性が枯渇してしまったか、心が壊死していたんだと思う。いまも相変わらずメンタル面は良いとはいえない状態だけれども、いくらかは落ち着いてきたので少しずつでもまたレコードを買ったり、未知の音源に手を伸ばしたり出来るようになってきた。このThe Heatsのライブ盤を聴いていても、ぼくはまた音楽を聴く喜びを享受しているのだなあ、と本当に嬉しい気持ちになる。また心を整えて、こういう音楽に積極的に手を伸ばしていきたいと思う。

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THE HEATS by Jive Time Records pt.5

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シアトルのレコード・ショップJive Time Records(WebFacebook)のこちらの記事の訳文です。

Keithが脱退したあとに、Ken Deansはとてつもない不安に苛まれた。他のメンバーとの関係は拗れてはいなかったが、実際にはなにも起こっていない状況下で次の大物扱いされることにフラストレーションを募らせた。最終的にKenがバンドを辞めたのは、マネージメント、プロモーション、プロダクションに対してブッキングの面でより良い展開を求めてのことであった。バンドには彼の後任としてRick Bourgoinが加入した。

Kenは2016年の7月にシアトルのジャーナリストFeliks Banelに「The Heatsを抜けるときは最低な気分だった」と語っている。そして「あれは人生でもっとも酷い経験のひとつだった。自分の人生のうち3年間を連中と一緒に血を流して闘い続けて、そしてそこにもう自分はいないんだ。本当にキツかったよ。『ワオ、僕は驚くべき体験をしているんだ、でも本当に僕たちはこのゲームの目標がわからないんだ』っていうようなものだった」とも。

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THE HEATS by Jive Time Records pt.4

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シアトルのレコード・ショップJive Time Records(WebFacebook)のこちらの記事の訳文です。

1981年にSeattle Timesの評論家Pat MacDonaldは、The Heatsをポピュラーにした要因として彼が信じていたことを次のように述べた。

 「物事をひどくシリアスに受け止めたパンク・ロック・ムーブメントの暗黒の日々のあとに現れたThe Heatsは、爽やかな一陣のそよ風であった。彼らはシアトルのロックに楽しみを取り戻し、ファンたちはそのことを喜んでいる」

おそらくPatはパンク・ロックに熱狂する者たちがシアトル、またはアメリカ全土の音楽ファンのなかでも極めてマイノリティーな存在であった、という事実を知らなかったのだろう。パンク・ロックはカレッジ・ラジオで時々取り上げられた以外は、ローカルなラジオ局でかかることはなかった。この国のほとんどの会場のオーナーたちはパンク・バンドには自分の建物で演奏することを許可しなかった。多くのパンク・バンドがホールを借りて、100人も観客が来たら大成功と呼べる規模のショーを自分たちの手で開催し宣伝しなければならなかった。1980年までにシアトルにオープンした唯一のパンク・クラブに全年齢対象のThe Birdがあったが、たったの3ヶ月で閉店してしまった。

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