Soggy by Soggy

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Killer French Stooged Punk/Heavy Rock,reissue from 1981!そろそろ終わりが見えてきた2016年は、この音楽が再び世に放たれた年として人々に記憶されるべきだ。世界中のロックンロール・ジャンキーたちへと投下されたヘヴィなロックのナパーム弾。原子爆弾。

Soggy(Facebook)はStooges/MC5~Sonic’s Rendezvous Band~New Order、またはAmboy Dukes~Ted Nugent、Blue Öyster Cultなどのデトロイト・ロックンロールの系譜に多大なる影響を受けたフランスはランスのロック・バンド。78年に結成されたバンドはStooges、MC5、アリス・クーパー、ブラック・サバスetcのカバーをもともとは演奏していたらしいが、徐々にパンク、ハード・ロックにインスパイアされた自分たちのオリジナル楽曲の制作に着手していく。本国フランス以外でもドイツ、ベルギー、オランダ、スイスでライブを行い、81年に自主制作でシングル「Waiting For The War/47 Chromosomes」をリリース。このシングルが本国のレコード店などで話題となりいくつかのメジャー・レーベルから誘いを受けたようだが、彼らの母国語であるフランス語で歌うことを強要されたことなどを理由に、彼らはメジャーとの契約をことごとく蹴っている。翌82年、結成から100回を超えるライブパフォーマンスの果てにバンドは空中分解。彼らの短い活動歴のなか、81年の5月にフランスのテレビ局FR3にてシューティングされた”Waiting For The War”の貴重な映像がこちら。

どうよ?音源としてはシングルを1枚発表したのみのこのオブスキュアな存在にフォーカスしたのがフランスのMémoire Neuveという再発レーベルで、Mémoire Neuveは2008年にバンドの唯一のシングル「Waiting For The War」を含む編集盤LP「Soggy」を、2012年には未発表曲集の2枚組LP「Slog」をそれぞれリリースしている。この2枚の編集盤はどちらも500枚限定であったこともあり、一部のマニアたちに行き渡って終わりだったのではないかと思う。実際、ebayなどでは非常に高値で盤が取引されているのが散見される。

Soggyの周囲が騒がしくなってきたのは2014年のこと。LA出身の人気スケート・ロック/ストーナー・ロック・バンド、The Shrine(Facebook,Tumblr,Bandcamp)が12インチ・シングルで彼らの”Waiting For The War”をカバーしたことに端を発する。The ShrineのSoggyへの入れ込み具合は本物で、翌2015年の11月にThe Shrineがヨーロッパツアーを敢行した際のフランスでのライブに、ご当地出身のロックンローラーであるSoggyのヴォーカリストBeb Soggyをゲストに呼び、共に”Waiting For The War”をプレイしている。このときのステージの模様をフランスのウェブzine、Soil Chroniclesのクルーが撮影したものがこちら。The Shrineのクルーがバックステージからステージに向かうBebの姿とステージ・パフォーマンスを撮影したものがこちら。この日の ライブは大いに話題になったようだが、他の誰でもないBeb Soggyにとっては、活動当時には正当な評価を獲得することもなく、80年代半ばには歌うことを諦めて定職に就き、それから30年が経過した現代に自身の楽曲やパフォーマンスが受け入れられたということがとても意義深く、また嬉しい驚きだったようだ。そして、The Shrineは翌2016年6月に毎年フランスのクリッソンで行われるへヴィ・メタル/ハードコアのフェスティバルHellfestに出演時、ならびに同年8月にLAのハードロックホテルで開催されたドゥーム/ストーナー/ヘヴィ・ロックの祭典Psycho Las Vegas出演時に再度Bebを招聘し共演を果たしている(Psycho Las Vegasでのパフォーマンスの模様がこちら)。また、Psycho Las Vegas出演のために渡米する姿を映したドキュメンタリー映画の制作費用を募るクラウドファウンデイングがSoggyのオリジナルドラマー、Olivier Hennegraveによって催され(Link)、こちらも見事に目標額8,000€を達成させている。

The Shrineが猛烈にSoggyにラブコールを送っていることに後押しされたのか、はたまた偶発的に同時発生したものなのか。フランスのレア盤の再発専門レーベルCameleon records(最近このレーベルからフランスのKBDパンクの代表格Gasolineのシングルが再発されたことは記憶に新しい。余談であるがこのレーベルのリリースはMotorheadタイプのロッカーHotchkissやlate 70’sのモッズバンドLes Lords、70年リリースのへヴィ・サイケBlow Mindなど、どれもオブスキュアなものばかりではあるが価値のある再発ばかりなので、時間のある方はCameleon recordsのBandcampをチェックしてみると面白いのではないかと思う)から2013年に「Waiting For The War」が限定プレスで再発されていたのだが、このレーベルがこの2年くらいかな?Bandcampでの音源配信に力を入れていて、昨年の12月に「Waiting For The War」の配信をスタート。

 

そして、この一連の再評価の流れを決定的なものにすることになるであろう「事件」こそがOuter Batteryによる2008年の編集盤「Soggy」の再発であり、または先月末にスタートしたOuter BatteryのBandcampページにおける同アルバムの配信である。

このロブ・タイナーやミック・ファレンのようなヘア・スタイルが特徴的な若き日のBebを写した、インパクト充分なジャケに導かれてプレイヤーを再生すると、シングル「Waiting For The War」のB面曲”47 Chromosomes”の焦燥と情動に駆られて痙攣するヴォーカリゼーションに心臓を鷲掴みにされる。驚愕の一言。続く”Lay Down A Lot”のダウン・カッティングのリフ!リフ!リフ!3曲目のへヴィ・ロック・ナンバー”I Feel Top of the world”が無愛想に響くころには、この編集盤が年間ベスト再発なんてそんな生易しいレベルの音源ではなく、late 70’sからのロックのクラス分けを見直す必要性を覚えるほどの、驚天動地の一枚であることを僕は痛感する。これほどまでに凄絶な音源を聴かないで、よくもまあぬけぬけとこれまで僕はロック・ファンを自認していたものだ、と自分自身に呆れつつ。

どんな音楽に影響を受けているか、そしてそれをどのように自身の音楽に反映させているか、というのは別段Soggyに限ったことではなく、ミュージシャンの音楽性、さらにはそのスピリットを考えるうえで非常に重要なことである、とここでは言い切って、比較の対象として挙げるに適切かどうかの判断は当稿に目を通してくださっている方々に委ねるとして、Soggyと音楽的なバックボーンに近似性の高さが見られるオーストラリア出身のlate 70’sのロックンロール・レジェンドRadio Birdmanなどは、MC5が70年の「Back In the USA」においてロックンロールの構造をミニマム化することでダイナミズムとスピード感を獲得したことを基にして、非常にスマートな音楽性を展開することに成功しているが、それとはまったく対照的にSoggyのロックはまるで洗練からは程遠い、粗暴で猥雑な代物である。Soggyがデトロイト・ロックンロールから継承したものの核は、Stoogesの「Funhouse」全編で繰り広げられる暴力とセックスに支配されたカオティックな、マグマの噴出のように過度の熱量を宿したグルーヴだ。

例えば、Soggyの音楽性を指してヘヴィ・メタル寄りの視点から「NWOBHMとStoogesの出会い」というような形容をすることは可能だと思う。近年「メタル・パンク」と称されるようなRAWなメタルに、Soggyとの相似性を見出すことは容易であろうし、Soggy自身が自分たちの音楽性をHard RockとNew Waveをもじって「Hard Wave」とセルフ・ラベリングしていたことや、バンドの解散によって実現こそしなかったものの、82年にはJudas Priestのヨーロッパ・ツアーのオープニングアクトを務めることが決定していた、という事実からも同時代のへヴィ・メタルとは相関性があると考えて間違いないだろう。また、言うまでもなくSoggyはパンク・ロックであり、へヴィ・ロック然としたアプローチを残したプロト・パンク的でもある・・・この点に関しては説明不要だろう。KBD系のパンク・ロックのコレクターにはSoggyの「Waiting For The War」はメガレア盤として有名だろうし、その線から2002年の「Soggy」LPのリリースがあったことは確かなことだし、メタル・サイドからの評価の声というのもwebジンSpirit of Metalだとかアンダーグラウンドなブログなどから、数は少ないにしても上がっていたことは確認できるのだが、やはり近年のSoggyへの再評価運動がストーナー・ロック方面から起こっているというのは特筆すべき事項だろう。歴史的に解釈するならば、ストーナー・ロックの革新性というのはハード・ロック/へヴィ・メタルとパンク・ロック(~ハードコア・パンク)とをまったくの同一線上に置いて、その双方の音楽的価値を認め等しく影響を受けている点にあり、端的に言えば彼らのレコード・ラックにおいてはLeaf HoundsもAndromeda(UK)もRotzkotzもIvy Greenも等価であるということ。Soggyへのこのようなダイレクトなレスポンスを示したのがそれぞれの支持者層、トライブが旧態依然としてくっきりと分かれているメタル、パンクのカテゴリーのなかからではなく、パンク/ハードコア/DIYカルチャーと密接な関係にあるスケート・ロックとストーナー・ロックを両立させているThe Shrineであったというのは、このメタルとパンクの狭間で長い眠りについていたSoggyというバンドの音楽性について考えてみると、極めて象徴的な出来事であるように思う。もちろん、これはパンクだ、メタルだというような線引きはSoggyのロックの前では瑣末なことでしかないのだけれど。

このSoggyを巡る一連の動きは、アルバム「Soggy」が今年12月にiTunesでも配信開始されること、また今年の夏にPsycho Las Vegas出演のためにBebが渡米した際に、BebをVoに据えたThe Shrineが新曲をレコーディングしていてそちらの方も今後リリース予定とのことで、これからより一層加熱していくのではないかと見込まれる。Outer Batteryからもうすぐリリースになる「Soggy」のヴァイナルもそこらで見かけることになるのではないかと。それも当然といえば当然だ。この、世界から忘れ去られていた音楽の、ワイルド、ラフ、プリミティブ、RAW・・・どの形容詞も決して追いつかないように思われるハイ・スピードなロッカーっぷりが放つ美しさ、ストリート・ワイズ然としたまっすぐな知性たるや。こんな音楽が「オブスキュア」であっていいわけがないのだから。Soggyの残した音源に相応しいだけの熱量でもって、語られるべき音楽なのだから。本当に、こんなの他にないよ。2枚組LP「Slog」の再発を切に願いつつ。

 

今年6月にHellfestに出演した際のこのBebのパフォーマンスを刮目して見よ。30年も前に「諦めた」男が、世界に発見された喜びを全身で表現するさまを。「人生」を全力で宜う、その姿を。文字通り死ぬほどに、心が震えてこないか?

 

 

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2016/09/20

先日掲載させていただいたex-WinkS〜Maybels〜Kissin’ Mostly、現THIS BIGの吉田カズマロさんのインタビューを読んでくださった方々、シェアしてくださった方々、そして誰よりもこの機会を与えてくれた吉田さん、本当にどうもありがとうございました。僕のインタビュアーとしての力量不足を痛感しつつも、ネットに貴重な情報を流せた、残せたというのは非常に大きいことだなと。僕は昔Great 3が大好きで(まったくの余談になるけれど、僕の妹はHicksvliieが好きだったので、兄妹でCDを貸し借りしたのはいい思い出)、過去に遡ってロッテンハッツももちろん聴いて、またPale FountainsやFelt、OJとかの初期ネオアコースティックにどっぷり浸かっていたこともあって、日本のネオアコの記念碑的コンピとして名高かった「Innocence And Peppermints」にそのロッテンハッツが収録されていることから僕が手を伸ばすのは必然的な流れだったのだけれども、そのコンピを聴いていた20年後に、まさかそのアルバムに収録されているアーティストの方に自分がインタビューさせていただくなんてことが起きるなんて、まったく想像の範疇を超えていたので。人生にはなにが起きるかわからないよ、ホントに。
また、9月17日の夜にTwitterにて「#メイベルズ解散25周年」のハッシュタグ付きで流れてくる音源の数々に心の底からワクワクして!こんな素敵な企画に関わらせていただいて、本当に僕は幸せ者です。 続きを読む

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Interview with Kazumaro Yoshida

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このエントリーを公開する本日、2016年9月17日は日本のフォーク・ロック・コンボMaybelsの解散25周年記念の日ということで、その「記念事業」の一貫としてMaybelsのリーダーであった吉田カズマロ氏(TwitterSoundcloud)のご好意で当ブログに吉田氏のインタビューを掲載させていただく運びとなりました。ここからはちょっと長い前置きになりますが、Maybelsを知らない、聴いたことがない、という方に向けていくらか綴らせていただきます。(すでにMaybelsを聴いたことがある、ファンだ、リアルタイムで体験していた、という方は僕の駄文を読み飛ばしてくださってもまったく問題はありません)

Maybelsについてはメンバーの吉田ツグオミ氏のブログ「めいべる堂俳諧地獄めぐり」にて連載されていた「The Maybels血風録」にその活動の記録が詳細に記されていて、僕は2年前にMaybelsの音楽に夢中になってからというもの、そのエントリーの数々を貪るようにして読み返したものですし、また今回のインタビューに関しても事実関係の資料として活用させていただいています。この「The Maybels血風録」は、情報が非常に少ない80年代~90年代初頭にかけての日本のインディー・ミュージックの資料としても歴史的価値を有するものであることは間違いないですし、単純に読み物として非常に面白いので、必読です。そこから抜粋させていただいて、まずはMaybelsの簡易なバイオグラフィー的なものから。

Maybelsは86年に傑作シングル「Privacy」のみを残して解散したモッズ・バンドThe WinkSの吉田カズマロ(Vo、G)、安藤忠(のちに孝司と改名・Dr、Vo)とBrighton Blue Beatsの及川ヒロユキ(B)、吉田氏の実弟である吉田ツグオミ(G、Vo)によって87年に結成される。(注・The WinkSについては「Privacy」が2014年に再発された際のココナッツディスク吉祥寺店のブログに詳しい。Linkはこちら)バンド名は「5月の鐘」の意。結成から2ヵ月後の87年7月14日に新宿JAMのMarch Of The Modsにてライブ・デビュー。同年10月、及川氏が脱退。Strikesのクリスマス企画にて配布されたコンピ・カセットに初音源となる”マッグイーンのカンタータ”を提供。翌88年にベーシスト不在のままMaybelsはレコーディングに突入、Radiateからリリースされたコンピレーション「Why Don’t You Get Smart?」EP(他の参加アーティストはThe Hair、High Style、The I-Spy)に”ウォルナットは灰色 This Oval Walnut”を、Marvelousからのコンピ「Get Smile!」LP(MaybelsとThe Strikes、The Movements、The Muddy Lamps、Original Loveが参加)に”双子座-天秤座”、”Echo”の2曲をそれぞれ収録。同年、及川氏の後任ベーシストとして松村嗣視(つぐみ)が加入。2014年に極少数のみ販売された「Live at Crocodile 18.1.89」にて聴ける演奏はこの編成時のものである。また同年にはバンド最初にして最後となるツアーを京都・岡山で行っている。翌89年、松村氏脱退、吉田カズマロがベースにコンバートし、Maybelsは3人編成で音楽性をアコースティック化するためにリハーサルを重ねる。90年、リードギタリストとして元I-Spyの鈴木純一が加入、ライブ再開。91年にはFrederickの片岡健一が監修してエピックソニーよりリリースされたネオアコ・コンピレーションの傑作「Innocence And Peppermints」(Bridge、Rotten Hats、Philipsなどが参加)に”Flight Song”、”地下鉄”を収録、同年8月に新宿JAMで行われたレコ発ライブも大成功をおさめるが、9月17日の新宿JAMでのライブをもってMaybelsは解散。終演後に吉田カズマロはソロ・ユニットKissin’ Mostly名義でのカセット「Original Soundtrack From The Motion Picture ‘Maybels’ Vol.1」を配布(カセットには”庭の猫”、Maybelsの”地下鉄”の再演を収録)。その後のメンバーの活動については、この後に掲載するインタビューで吉田氏によって語られるとおりである。(文中、一部敬称略)

・・・さて。ロック・ヒストリーに星の数ほどあるのであろう悲劇の類の話ではあるが、Maybelsはその優れた音楽性と世間の評価とがまったくマッチングしていない。それはいまに始まったことではなく、先述した「Maybels血風録」から痛いほどに伝わってくることではあるが、Maybelsが活動していた当時から、だ。それはわずか4年という活動歴の短さや、音源が少ない、単独音源がなかった、などのことに起因するのだとは思う。もちろん、活動当時からMaybelsをフォローしていたライターの北沢夏音氏や、熱狂的なリスナーが多数存在している/していたことはたしかなことだろうが、それにしたって、過少評価もいいところじゃないか?
もしかしたらMaybelsは日本のロックの歴史の一頁どころか一コマにすら名前の載ることがない、極めて小さな存在なのかもしれない。あくまでも、いまのところは、だが。例えば、日本のロック史に名盤としてその名を燦然と輝かせるはっぴいえんどの1stアルバムをして、今日からは考えられないことではあるが「日本語をロックに乗せた功績は大きいが、音楽的にはBuffalo SpringfieldやMoby Grapeの模倣に過ぎない」とする言説が、90年代の初頭まではロックの批評の現場に残っていたと僕は記憶している。批評は時代とともに変遷して然るべきものではある、だからこそ、「正史」なんていうのは所詮はその程度のものでしかないんだよ。そもそもが、音楽ジャンル内のサブカテゴリーの細分化に勤しんで、自分の属する領域の優位性を主張するのに精一杯といった人たちに、まるでFifth Avenue Band〜Ohio Knoxと初期Timesが出会ったかのようなMaybelsの豊潤な「フォーク・ロック」を評価するなんてことが出来るわけもないのだ。前述したはっぴいえんどやシュガーベイブらの方法論を踏襲したわけでも、または倒錯したドンキホーテ的なものとしてではなく、あくまでも活動していた時期の時代性・空気感のなかで、モッズの延長線上に真にオリジナルなフォーク・ロックを見出したパイオニアを、凡俗な世間が理解に至るには時間がかかるのは当然といえば当然のことなのだ。
だから。このMaybels解散25周年のきょう、いま、この瞬間にこの場所から。ほかの誰でもない僕らひとりひとりが。Maybelsの音楽がいまも色褪せることなく真っ直ぐに放つ輝きを受け止めて。その価値を正当に「評価」することで。そして、それぞれの仲間とシェアすることで!
日本のロックの歴史を塗り替えてやろうぜ。NOW DIG THIS!
(インタビュー/文責・古川敏彦)

モッズという言葉より、さらになんでもありなのがフォーク・ロック-

・まずはWinkSのことからお聞きします。WinkSを結成した当初の活動というのはどういったものだったのでしょうか?郊外のハイティーンにとっては、バンドを結成するにあたってメンバー集めですら苦労しそうだというのは容易に想像がつくのですが。

「ハイティーンというより、ミドルティーンの集まり。ベースとドラムは未経験者を半分むりやり起用して始めました。メンバーの、文字通りベッドルームで練習していました。僕ともう一人のギターはすでに弾くことができた。なんとかバンドの形が出来上がって、ライヴハウスに出てみようってことになって。その前に、僕の住んでいる町はその頃何故かビートバンドがいくつもあって、公民館を借りてライヴをやったりしていた。」

・WinkSが甲本ヒロトさんの紹介でMarch Of The Modsに出演するようになった、というエピソードはあまりにも有名ですが、その経緯についてお教えください。また、甲本ヒロトさんについては当時どのような印象をお持ちになりましたか?

「渋谷のラ・ママにデモテープを持ち込んで。ライブハウスのブッキングで昼間、まあオーディション的な感じで出演することになった。そのときの対バンを見にきていたのがヒロ トさんで、マーチ・オブ・ザ・モッズを切り盛りしていた黒田マナブさんに紹介してもらって。渋谷の屋根裏なんかにも出られるようになった。ヒロトさんには世話になったなあ、といった感じ。音楽的には影響されたり、というのはなかった。当初からバンドのオリジナリティーを追求していたし、周りのバンドもみんなそうだった。」

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2013年に少数のみ再発された「Privacy」。残念ながら現在は廃盤。

 

・当時のモッズ・シーンというのは吉田さんの目から見てどういった様子でしたか?また、そこではWinkSはどのように迎え入れられたのでしょうか?

「実はマナブ君とはヒロトさんに紹介される前に一度会ってるんだ。何かビート・バンドを見に行って、その時に彼が作っていたzine、HERE TODAYを渡されて。表紙がシークレット・アフェアのイアン・ペイジで、なんだこれはって。・・僕の住んでいた(今も住んでる)町は当時しっかりした本 屋もあったしレコードも面白いのが買えた。・・それで中学生か高校一年の頃にはシークレット・アフェアやナイン・ビロウ・ゼロなんかを聴いていて。イア ン・ペイジが表紙のzineが作られているなんて驚いたし、それにも増して東京にモッズ・シーンがあるということが驚きだった。実際、マーチに行くようになって、あの頃は かっこいい人がたくさんいたし、刺激を受けた。みんな若かったけど、僕らは一番若くて、バンドをやってる人たちには可愛がられたけど、いかんせん集まって るリスナーにはあまり受けなかったよ。・・というかあの頃はフロアでダンスするような感じではなくて、みんな突っ立ってタバコを吸いながらステージを眺め てるような感じだった。」

・フロアに集まったお客さんたちがReady Steady Go的なステップを、という風ではなかったんですね。

「うん。そんな中でコーツやバイクが受けるようになってきて。初期のJamの映像を見るとわかると思うけど、結構騒ぐようになったんだ。」

・「Privacy」のレコーディングはどのようなものでしたか?どのような環境で、どれくらいの時間をかけて録音されたものなのでしょうか。

「ベーシストが抜けてしまって、メンバーが固まらなかったので、レコーディングすることになったのかな。JAMスタのオールナイトのパックで2晩で4曲録った。」

・「Privacy」収録の”君とオーティス”ではのちのMaybelsの雛形とも言うべきフォーク・ロックが聴けることに驚きます。この時点で吉田さんと安藤さんはフォーク・ロックへと移行することをすでに想定していたのでしょうか?

「いや、まだだね。ただ、それ以前からフォーク・ロック的な曲もやっていたんだ。埼玉から都内に引っ越すにあたって、最初のデモテープを作ったんだけど、その中にオーティスも入っていたし、アコースティック・ギター中心の曲も入っていた。」

そのデモテープというのは現存するのでしょうか?すごく興味があります!

「これはちょっとないなあ。」

・それは残念です。。では、WinkSでのモッズ・サウンドからMaybelsでのフォーク・ロック・サウンドへ、という音楽的な転身については、どういっ た背景があったのでしょうか。ツグオミさんの「Maybels血風録」によると吉田さん、安藤さんのお二人はディランやByrdsに傾倒すると同時に、モッ ズ・シーンに障壁を感じ始めていた、とのことですが。

「プライヴァシーが一部に反響があってビートルズの中期的なアプローチをするバンドだと認められた。それが86年だったんだけど、この年モッズシーンのトレ ンドはサイケデリック調のポップだった。WinkSもそんな中にいた。髪もマッシュルーム・カットで。そしてなかなかメンバーが固まらなかった。さて次は何をやろうか、と考えた時に、フォーク・ロックっていう言葉が出てきた。モッズ・シーンに関しては、障壁、という感じは僕はそんなになかったな。なんでもあり、という感じだったし。モッズという言葉より、さらになんでもありなのがフォーク・ロック、ていう感じかな。」

・なるほど。吉田さんの意識のうえではモッズとフォーク・ロックというのは別のもの、ではなく繋がっているものだったんですね。

「うん。その頃はモッズ・シーンでしかライヴもやってなかったしね。それが変わるのが87年。メイベルズになってから。ネオGSが台頭してきた。」

・吉田さんはネオGSには相当反発していたとのことですが、その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。

「当時僕はGSという言葉が好きでなかった。」

- アコースティックな編成になってNYのフォーク・シーンを追うようになり、そこからもう一度Lovin’ Spoonfulに戻ったようなところがある-

・わかりました。Maybels結成にあたって、実弟であるツグオミさんを誘われた経緯というのはどういったものなのでしょうか?吉田さんは二臣さんのガレージ・パンク・バンドThe Marvelsにも参加していたようですが。

「僕がやりたい音楽がどんなものか説明する手間が省けるのと、ギターが弾けたから。僕はWinkSでリード・ギターだったけど、ツグオミに任せられると思った。Marvelsは良いバンドだった。先に話した僕の町(上福岡)のビート・バンド・シーンでも良い線いってた。」

・Maybelsの最初の音源である「マッグィーンのカンタータ」は、Strikesが配布したクリスマス・コンピのカセットに収録された楽曲とのことでし たが、サウンドも、「5月のベルをJimに」という歌詞にしても、ロジャー・マッギンへのMaybelsからの敬意を示したような曲になっています。この 曲を作曲した意図のようなものがあれば教えてください。

「あの曲、実はあまり気に入っていない。クリスマスかよーって感じで。僕にクリスマスソングを作らせようというのは間違っている。僕の持ってるレコードでロジャーがバッハの曲をバンジョーで弾いてるのがあって、それに歌詞をつけただけだし、クリスマスの夜遅く、というところもイヴなのか何なのかわかんないし。サウンド・クラウドに説明してある通り、ノヴェルティーソング。わかりやすいフォーク・ロック。僕としてはクリスマスソングを録音するより昨日を僕は信じないかなんかを録りたかった。まあ、先にコンセプトありきだったので、文字通り3分くらいで 作った楽な曲。」

・そうだったんですね。”昨日を僕は信じない”は正式なスタジオでのレコーディングがなされていないことが残念で仕方ないんですけれども、この曲はMaybelsでも比較的はやい段階に作られていたものなのでしょうか?

「一曲目。メイベルズを結成するにあたって作った。この曲はちゃんと録音したかったし、これからするかもしれないが、歌詞に手直しが必要だろうと思う。この曲も17日にライヴのやつを聴いてもらおうと思う。それからこれは言っておかなくてはならないが、カンタータにせよ、昨日を、にせよツグオミのリードギ ターが冴えている。曲を作るのは僕が中心だったが、サウンドの面ではツグオミによるところが大きい。」

・わかりました。そして「Why Don’t You Get Smart?」と「Get Smile!」の2枚のコンピに収録された”ウォルナットは灰色”(編注・iTunesにて購入可能。こちらから)、”双子座-天秤座”、”Echo”の3曲は同時期にレコーディングされた曲とのことで すが、まさにエバーグリーンな、どれも色褪せない名曲だと思います。この3曲の作曲やレコーディングというのはどのようなものでしたか?

「面白かった。この3曲は笹塚だったかな、のスタジオで録った。僕の悪い癖なんだけど録音の時、あまり休憩しないんだ。でもこのスタジオのエンジニアはいい 人で、嫌な顔せず付き合ってくれた。彼は、これはなんというジャンルの音楽なんですか?と真顔で聞いてきたので、フォーク・ロック、と答えた。僕は初めて ピアノを弾いたし、ツグオミはマンドリン、安藤君も様々なパーカッションをプレイしている。そしてまた、言っておかなくてはならないが、この3曲のレコー ディングもメンバーが足りない状況で録音された。ただラッキーなことに今回はベーシストがすぐに見つかった。get smileのジャケットに写真だけ載ってる、マツ君。クロコダイルのライヴ盤でベースを弾いてる彼だ。・・今聴くとちょっとなあってところもあるが、まあ まあなんじゃないかな、この3曲は。」

・WinkS時代に比べて、吉田さんの歌詞の文芸的な趣向はこのころからグッと強くなっていきますよね。当時影響を受けたアーティストや作家などがいたらお教えください。また、吉田さんにとって、作曲上で歌詞というのはどの程度のウェイトを占めるものなのでしょうか。

「うん、歌詞についてはWinkS時代から興味があった。例えばオーティスでも、君がいないから声が聞けない、というのと、レコードがないからオーティスが 聴けない、というのを並置している。歌詞は非常に重要だと考えているけれどわざと楽に書いたのもあるし(ふたご座)、意識せずに深いものになった曲もあ る、例えば地下鉄。音楽では曲の全体がどうかにかかっているので、個人的にはヴォーカルが大きいミックスを好んでいるけれど、詩が突出しているのはあまり 好まない。ただ、歌詞ではあるけれど、詩として読んでも面白いものを目指していたのは確か。詩の勉強を始めたのはもっとずっと後になってから。昔は自分が何をしているのか説明できなかったけれども、今は、昔書いたものがどうなのか自分でもよくわかる。子供の頃は萩原朔太郎が好きだった。」

・話は前後してしまうんですけれども、のちに吉田さんは音楽から離れて本格的に詩作のほうに向かうわけですよね。最近、 Twitter上で当時やりたい音楽をGラブに先を越された、それでポエトリー・リーディングに関わるようになったと発言されていましたが。

「うん、Gラヴにはやられた。ただ、今は自分にどのようなアプローチができるのかわかっているし、最近は歌詞を書くのも楽になった。詩の勉強を始めた頃にカリアティードを書いて、その次の段階として想定していたものをGラヴにはやられたし、僕は日本語でやりたいので、どうすれば良いのかあの頃思いつかなかった。」

・松村さんが加入してからの「Live at Crocodile」での演奏は本当に凄まじいですね!メンバー各人が持ち寄った曲を演奏するようになった時期とのことで、楽曲の幅も非常に広いですし、先の”ウォルナット”、”双子座-天秤座”も熱量の塊のようです。吉田さんとしては当時のMaybelsのライブを振り返って、この日の演奏についてはご自身ではどのように思われますか?

「このころのライヴは大体こんな感じの演奏をしていた。CDRには収録できなかったがカヴァー曲も割とよくできている。ただ、カヴァーの選曲はいわゆる フォーク・ロックらしいものを広く浅くやっていていまひとつ、と言ったところか。フリッパーズ・ギターもやっていたサークルのレッド・ラバー・ボールや、 ボブ・ディランくよくよするなよ等。今思うとわかりやすい曲をこの時期はやっていた。今聴くと、まあこの程度の演奏はこなしていたんだよ、くらいは言って もいいと思う。」

・この後、鈴木さんの加入前後にMaybelsの音楽性がジャグバンド化、フォーク/ブルース化していったという時期のことを教えてください。この時期のMaybelsには音源などが残されていませんが、のちに吉田さんがKissin’ Mostlyで展開した音楽性に近いもの、と考えてもよろしいのでしょうか。
「このころは、ツグオミもアコースティック・ギター、僕もアコースティック・ベース・ギターにシフトして、とにかくブルースをやりたかったのだと思う。ブ ルースの再発レコードをよく買っていた。僕は東海岸のブルースが昔から好きでよく聴いていた。10代の頃、初めて買ったブルースのレコードはキャロライ ナ・スリムだった。KMは僕が個人的に目指していた音楽、メイベルズではできなかった音楽をやるためのものだったので、メイベルズとは違う。解散ライヴで配ったKM のカセットの題名がOriginal Soundtrack From The Motion Picture ‘Maybels’ vol.1だったことからも伺えると思う。この時期が最後のメイベルズということになってしまったが音源があまり残されていない。スタジオだけどイノセン スの2曲、それと解散ライヴのカセットが2本あって、一本はココ吉の矢島君が録ったもの、もう一本は当時のファンの女性が録ったもの。ちゃんと聴いていないんだけど、そう悪くはないようだ。」

・また、Maybelsがのちに「日本のナッシュビル・キャッツ」という称号を得るほどにLovin’ Spoonfulに猛烈に傾倒していくのはこのころとのことですが、吉田さんにとってLovin’ Spoonfulのどの部分に最も影響を受けて、それはご自身のソングライティングの面では主にどのように現れているとお考えですか?また、Lovin’ Spoonful/ジョン・セバスチャン以外に、この時期の吉田さんが好んで聴いていて、作曲上で影響を受けていたソングライターやバンドを教えてください。

「作った年代がさかのぼってしまうが、地下鉄を聴くとどのような音楽に影響されていたのかわかりやすい。ラヴィン・スプーンフルのDidn’t Wanna Have To Do It 、Coconut Grove、最後のところは多分ビートルズのTicket To Ride だろう。変拍子のブリッジの部分はずっとTake Five からの影響だと思っていたが、Felt の黄色いジャケットのLPに入っている曲(編注・88年の「Train Above The City」収録の”Run,Chico!Run!”のこと)をイメージしていたのだと最近わかった。あと例えばフライトソングにはBiff Bang Powの影響が聴き取れるだろう・・。これはおかしなことかもしれないが、アコースティックな編成になってNYのフォーク・シーンを追うようになり、そこ からもう一度Spoonfulに戻ったようなところがある。ジョン・ハモンドを生で見たのは大きかった。そして確かジム・クエスキン抜きだったと思うがジェフ・マルダーを中心としたジャグ・バンドも観た。ブルース を聴かなければSpoonfulには戻らなかっただろう。そして自分で曲を作るにあたっては、3コードのブルースではなく、自分のブルースを作るよう心が けていた。だから、オリジナルと同時にカヴァーをやらなければならなかったのだと思う。ブルースをやります、と言ってフライト・ソングでは分かりにくすぎる。」

・ここからは「Innocence And Peppermints」(編注・Amazonで非常に安価にて購入可能。こちらから)のことなどについてお伺いします。モッズから出発してフォーク・ロックへ辿り着いたMaybelsと、パンクのあとの音楽、ポス ト・パンクとしてアコースティックな音楽へ傾倒していったネオアコ勢とは、当時頻繁に対バンしていたということもそうですし、のちに「Innocence And Peppermints」にMaybelsが収録されたこともそうですが、世間ではかなり近いものと認知されていたのかなあと。これは以前から気になって いたのですが、吉田さん自身は当時ネオアコースティックのバンドたちについてどのように感じていらっしゃいましたか?

「中学生の頃、ラフ・トレードのレコードが日本盤で出たり、新しい音楽はずっと聴いていたし、一モッドとしてクリエイションの一連のレコードも聞いていた。 ファンタスティックサムシングのカヴァーをパーティーに呼ばれてやったり、ペイルファウンテンズやオレンジジュースのレコードももちろん持っていた。なの で、日本のネオアコもそう違和感はなかった。ただ、ネオGSのGS同様、ネオアコのアコという言葉が好きでなかった。さっき言った通り、モッズは(人によ るが)なんでもありなので、ネオGSネオアコという言葉は僕には狭すぎる。」

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「Innocence And Peppermints」(91年)

・では「Innocence And Peppermints」を吉田さんはちゃんと通して聴いたことがなかった、と以前発言していらっしゃいましたが、発売から25年が経過したいまあのアル バムを一枚フルで通して聴いてどうお思いになられますか?また、レコーディング自体はMaybels解散の引き金になってしまうほどに当事者の方々にとっ ては不本意な結果になってしまったようですが、皮肉なことにその2曲がMaybelsのもっとも後世に知れ渡っている楽曲になっているであろうことについ てはどう思われますか?

「ようやく自分を許せた、と言ったら良いのだろうか。まあそんなに悪くはないじゃん、と思った。こないだの下北沢でもフライト・ソング歌ったしね。それに僕 はキッシン・モストリーで仇討ちしたからね。今イノセンスは廃盤になってるし、配信もされていない。」

・また話が前後してしまうんですけど、昨年の下北沢でのライブの話が出ましたので。あのライブの前日にキーを変えて歌うことになった、とTwitterで発言されていたのはその”Flight Song”でしょうか?

「そうです、半音上げたら、最後の最後でコードを間違えました。その映像とってもらってあるのだけど封印しました。」

・その日がライブで演奏するのははじめてとのことでしたので、本当に観れてよかったです(笑) これはまったくの余談ですが、元Samantha’s Favourite、現Tweezersなどの尾崎さんがあの日会場にいらっしゃって、吉田さんとの意外?な交流関係に驚きました。尾崎さんとはモッズ時代 からの繋がりなのでしょうか。

「尾崎とは長いです。隣町の川越出身。あの日は人数は少なかったけれど、濃い人ばかり来てくれて。北沢さん、WWRBの山下洋、ソウルクラップのタイキ、元ファンシークローズの高松君とナオちゃんなどなど。」

・そうだったんですね。では話を戻します。先ほど「仇討ち」という言葉が出てきましたが、Kissin’ Mostly名義での”庭の猫”、”地下鉄”の2曲を吉田さんたったおひとりでレコーディングされたときのエピソードや想いなどをお聞かせください。

「キャリアの中で一番良い感じのセッション。メイベルズの時は人任せにしていた部分を自分でやらなければならなかったけど。庭の猫は新曲だったけど地下鉄は 結構古くて僕が22歳か23歳の頃作った曲。僕は地下鉄好きなので、イノセンスのままでは嫌だった。さっき言ったファンタスティックサムシングと地下鉄、 ビートルズのLove You To、スリーオクロックのジェットファイターの4曲をパーティーでカヴァーしました。ツグオミと、ペイズリーブルー(真城めぐみちゃんなんかの女性コーラスグループ)のタカコちゃんと一緒に。話がずれた。録った当時は気に入っていたんだけど気に入らないところがあったのでモノラルにミックスしてリマスター してノイズを退けたやつを17日に聴いてもらおうと思っている。猫はハーモニカを2~3個壊してそのたび楽器屋に行って調達したのを覚えている。」

・それから先ほど名前の出た「Lovin’ Circle」収録の”Caryatid”(編注・iTunesにて購入可能。こちらから)について、歌詞はモディリアーニの絵画にインスパイアされたとのことですが、吉田さんは楽曲制作の際に絵画に影響を受けたりすることは多いのでしょうか。

「本を読んだり映画や絵画を観たりするのが好きなので、インスパイアされることはしょっちゅうです。」

-僕たちは渋谷系以前のバンドなのです-

一方で、安藤さんと鈴木さんはEver Ready Playthingsを結成、メンバーチェンジを経て安藤さんはバンド名をFlight Channelに変更したのちCDを2枚リリースされていますね。Flight Channelについては吉田さんは当時ほとんどライブを観ていなかったとのことですが、いまFlight Channelの音源を聴いてみてソングライターとしての安藤さんにはどのような印象を持たれますか?

「安藤君のはファンタジックで、その点僕とは違う。それから、ジュンはトラックメイカーとして頑張ってるなあと思う。」

・また、ツグオミさんはご自身がリーダーを務めるWhat Goes Onにて、Maybelsとはまったく異なる音楽性を目指したとのことですが、お近くでご覧になっていてWhat Goes Onはどのようなものだったのでしょうか。また、CD-Rでの音源の発表が検討されているというアナウンスがされてそのままになっているようなのです が・・・。

「あれからツグオミの意向も変わって、彼は音楽からは離れることにした。17日に一曲だけサウンドクラウドにアップします。ワットゴーズオンの頃は僕たちは 別々に暮らしていたのでよく知らないんだ。ただ音源を聴く限りよくできているのでもったいないとは思う。ワットゴーズオンはメイベルズと異なる音楽という かメイベルズのツグオミとは違うツグオミを表現していると思う。そして17日のはPlum Surgeon名義の曲なんだが、これはヘヴィーなナンバー。」

・そうだったんですね。ではPlum Surgeonの曲を楽しみにしています!これは常々思っていたことなんですが、吉田さんや当時のシーンにいた方々が、「渋谷系」というキーワードの前で はどこか居心地悪そうにしているのが頻繁に見受けられます。その渋谷系から派生するかたちで90年代の半ば以降、サニーデイ・サービスやフリーボ、ハッ ピーズなどフォーク・ロック的なサウンドを演奏するバンドが、皮肉なことにMaybelsが解散したあとに日本の音楽シーンでは脚光を浴びるようになりま した。これらについてはどうお考えでしょうか?

「このあいだの古川君の質問の概要を見せてもらって、このことについてはいろいろと考えていた。例えばオーティスなりカンタータなりが90年代後半にあってもおかしくはないな(それなりのクオリティーに録り直せば)と思ったりもする。良く言えば早すぎた、ということになるだろう。そして、のちのバンドに直接的に影響を与えられていればそれなりの評価を受けてしかるべきだろうが、その前に消えてしまったわけで、もし価値を認めてくれる人が出ても、オーパーツ的 に受け取られるのが関の山かな、と思ったりする。・・サニーデイ・サービスは好きでよく聞きます。ハッピーズ、ジョー君は知り合いになりました。ハッピーズとは吉田カズマログループで’94年に対バンしていたみたいなんだけどね。吉田カズマログループは良いバンドでした。ツグオミベースでナオキドラムス。だからメンバーはマーヴェルズと一緒なんだ。クロコダイルとDJバー・インクスティックで一度ずつしかやれなかったけど、クロコダイルではかなり凄い演奏をした。録音しなかったのが悔やまれる。」

・それは聴いてみたかったです・・・。また、上記したバンド群とは別に、近年のシティ・ポップ再評価の流れがありますよね。「Live at Crocodile」のCD発売はそのムーブメントにいるリスナーにも歓迎されたように思いますが、そのなかにいる若いバンドたちがはっぴいえんど、シュ ガーベイブ、はちみつぱいなどの先達にストレートな敬意を示しているのに対して、ツグオミさんはMaybels血風録に「日本のポップ音楽としては、どちらといえば好きなほうである。だがその、背景にあるものに反感を覚えざるを得ない・もしくはある種の「無関心さ」を持たざるを得ない」と綴られています。この 両者のスタンスの違いというのはどこから生ずるものだとお思いですか?

「時と場所の違いでしょう。僕たちは渋谷系以前のバンドなのです。リスペクトという言葉がよく使われるようになる前の人間なのです。」

・Maybelsの音楽性は当時の主流とされている音楽とは明らかに一線を画していますし、フォーク・ロックを積極的に支持する土壌というものがMaybelsの活動時には熟成していなかったであろうことは容易に想像がつきます。Maybelsは対バンなどで関わった各々のシーンやそこに属するバンド、またはリスナーにどのように受け取られていたのでしょうか?

「どうなんだろうなあ。好きになってくれる人もいたけれど、そうでない人もたぶん存在していたわけで。また、評価が固まる以前に解散してしまったからね。解散後の各々のメンバーがどんな仕事をしてどう評価されたか、にかかってくるのかなあ。KM以降僕は積極的に音楽に関わらなくなってしまった。安藤君はイン ディー・レーベルにCDを2枚残して消えた。ツグオミは積極的にライヴをこなしながらもデモテープを発表するにとどまった。ジュンはマイペースでトラック・メイキングしている。メイベルズ以降、メイベルズの続きをやったのは安藤君、という見方が正しいのかな? だとしても、僕が知らないだけなのかもしれないがメジャーからの話があったわけでもなし。インディーポップのバンドとしては評価されていたのかな、僕は詳しく知らないけれど。ドイツのレーベルから、という話はあったようだ。・・答えになっていないけれど、今年、解散して25年になってしまったけれど、まだ 聴いてくれる人がいるということ・・活動していた当時には考えられなかったことなので、いま聴いてくれている方たちには感謝するしかない。」

・わかりました。それから、吉田さんの現在のバンド、THIS BIG(Twitter)についてお尋ねします。吉田さんのいちファンとしてまさにビックカムバックですし、活動がいまからすごく楽しみなのですが、その音楽性などは・・・ これはこういうインタビューで種明かし的な発言をしていただくよりも、活動がスタートするまで楽しみに待っていたほうがいいのでしょうか?(笑)

「今メンバーが僕(ギター)とドラムの二人なので、やり方を考えています。同じ編成のバンドに20マイルズがいるけど、あまり影響を受けないようにしようと 思います。まだ何曲かしかできないので曲を増やしたいです。このあいだ北沢さんに言われたんだけど、僕のやりたいことはWinkSの頃から変わらないで しょって。相変わらずのことをやるまでです。僕のやってきたことを好きになってくれた方にはお勧めします。あまり好きでない人にはつまらないバンドだと思います。ただ僕は「メンバー」なので!」

・はい。THIS BIGでの活動を楽しみにお待ちしております!きょうのために用意した質問があとふたつありまして、ひとつは重たい質問になってしまうのですが、二臣さん が数年前にMaybels血風録のコメント欄にて、吉田さんの今後の活動について読者に尋ねられた際に「KにはKの苦悩と孤独があったわけで、それなりの フォローというのものが、どこからもなかった。これからどうなるかは分からないけど、新しいものを出すかどうかは、周囲のフォローによる、と思います。」 と綴られていました。この一文から音楽活動から離れていたころの吉田さんは傷ついていた時代だったのかなというのを、それはあくまでも僕の勝手な想像なが ら感じてしまうのですが、そこからこの数年のWinkSの再発、「Live at Crocodile」の発売、March Of The Modsでの一夜限りのMaybels再結成、空知風知でのトーク&ライブ、THIS BIG、そして今回のMaybels解散25周年と、吉田さんは再び音楽に積極的に関わろうとしています。この心境の変化というのはどういったものなので しょうか。

「周囲のフォローがあった、ということに尽きます。(間を置いて)ちょっとこの質問は予期していなかったので・・」

・正直なところ、この質問をしていいものかどうかいまのいままで悩んでいました。

「いやいいんだよ!」

・フォローしてくださってありがとうございます。それでは最後の質問になりますが、解散から25年が経ったいま、吉田さんにとって「Maybelsとは?」を一言で表現するとどのようなものになりますか?

「あの頃あって当たり前だったもの・・かな?」

 

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