2017/08/06

2017年の上半期は個人的にとても苦しかった。10年以上に渡って勤務した職場がなくなってしまった。ブログの更新ができなかったこの4ヶ月のあいだに2度住む部屋を変えた。自分が生活する基盤が全部変わってしまった。変えざるをえなかった。そしていま、音楽を普通に聴くことができる日常がどれだけ大切なものであるかというのを僕は実感している。本当にもう、それだけ。
最近聴いているもののなかから何枚か。


カナダはモントリオール、ケベックのパンク/パワーポップ・バンド(Faccebook)が6月に発表したデジタル・シングル。late70’sのUKパンク・レーベルRAW Recordsにも同名異バンドが存在することはパンク・ファンにとっては周知の事実であるし、ただ、いつからかバンド名って過去に同じ名前を名乗っている先達がいたとしてもそのバンドが現役で活動していなければ構わない、というスタンスの人が増えてるんじゃないかなあって。こういうバンド名被りの類はこれからもどんどん増えてくるだろうなあと。それが問題になるかならないかは別として。で、このThe Sick Thingsのシングル、Trk-1の”Sick Things”が最高だ。ストレートにThin Lizzy的なツインギターのアレンジの前に屈服。Thin Lizzyがエリック・ベル在籍時の大ヒット曲”Whisky In The Jar”にて萌芽し、「Jailbreak」~「Black Rose」で完成させたしたスタイル・文法というのはパワーポップ的サウンドと相性がいいというか、そもそも非常に汎用性が高いものであって。それは決してパンクロックやパワーポップ、またはHM/HRに限定されるものではなく、例えば、年月をかけてスコットランドを代表するポップ・バンドにまで急伸したBelle and Sebastianの2003年の佳作「Dear Catastrophe Waitress」収録の”I’m a Cuckoo”(PV)に示されているように、広く「ポップ・ミュージック」にまで敷衍し得るものだ。まあ、それについてはベルセバのセンスが鋭かったというのはあるけど。それから、ストーナー方面からのThin Lizzyのトリビュート盤がGlory or Death Records(Facebook)によって企画され、一般に資金を募るクラウドファンディング(Link)も目標値に達して正式にリリースが決定したのでこちらもすごく楽しみ。Thin Lizzyの楽曲とストーナー・サウンドとの親和性の高さというのはミシガンのストーナー/へヴィ・ロック・バンドBoneHawk(Facebook)がシングル「Southbound-A Tribute to Thin Lizzy」(←”Southbound”のカバーが仰け反るくらいかっこいい)で示した通りであって、High On Fire、Egypt(新作「Clacks and Lines」最高!!)、Red Wizard、Slow Seasonsとか、面子も異常なくらいに豪華なので期待するなというのが無理な話。Sick Thingsのシングルの話から逸脱したけれども、近年のグラムロック的なパワーポップが飽和状態に達した感のあるいま、Thin Lizzyをこのように「パワーポップ的なロック」として再解釈するバンドがこれから台頭して来たりするんじゃないかなあと、これはNYのBig HugeのPre-Orderがはじまったばかりのアルバム「Cruel World」の現在公開になっているタイトル曲を聴いても、そういう予感というか期待が個人的に高まっているっていうのはある。

ワシントンD.Cのインディー・ロック・バンドBlessの新作シングル。7インチが同じくワシントンD.CのDIYレーベルDZ Tapesからリリースされていて(Link)、僕はデジタルで買ったんだけど失敗したなあって。7インチ欲しいんだけど、これ。シンセ・パンクの方法論、奇怪なシーケンスを導入することでパンク・ロックを異物化させていくというプロセスをインディー・ロックに流用したこの音源はとにかくインパクト大で初見のリスナーは面食らうこと請け負い。2015年の前作(Link)を聴いても凡庸なオルタナティブ・ロックでしかなくて、一体この振り切れ加減はなんなんだろうと不思議に思うぐらい。このシングルを聴いていて実感するのは、クラウトロックをどのように位置づけるか、解釈するかっていうのがこういう電子音楽的なエレメントを含むロックにとってものすごく重要な事項だということ・・・なのだけれども。個人的にドイツのプログレッシブ・ロックへの歴史観がいまものすごく揺らいでいて。とういうのも、10代のときにNWOBHMの同名バンドが好きだからという理由だけでチェックして夢中になったドイツのシンフォニック・プログレ、TRESPASSの84年のデモテープを最近手に入れて夢中になって聴きつつ、メンバーたちのTRESPASS以降の活動なんかの情報を探したりもしながら、そういえば僕はこの記事に名前が出てくるようなバンドってほとんど聴いていないなあと。クラウトロック、またそこから派生するロックの体系的理解を進めるうえで避けては通れないと思いつつ、なんとなく敷居が高く感じてこれまでずっと敬遠してたなあ・・・という。ちょっとこの辺は手を伸ばしてみたいところ。

フィラデルフィアのパワーポップ・バンド(Facebook)の2013年作。Bandcampサーフしているときにちょっと気になったとか、あとでちゃんと聴こうとかの理由でwishリストにとりあえず入れてそのまま放置、っていう音源が僕には1000枚くらいあって、新しい音源をタグからチェックしていても目ぼしいものがない、というときなんかに見直すと色々と見落としているものがあったりして。このバンドは特別な技術があるとか、非凡な才能があるとか、そういうバンドでは決してないと思う。どちらかといえば凡庸な類。ただ、Trk-2の”I’ll Come Running”だけは別。その朴訥なコーラスに潜む、世に溢れるペシミスティックな雑音をすべてこの音楽でマスキングしてやるんだ、という強い意志。そうなんだよなあ、こういう想いが根底にあるからこそ、音楽はリスナーの心が弱ったときに救命ボートとして機能するんだよなあ。彼らの音楽にかけるイノセントな情熱が凝縮したかのようなこの”I’ll Come Running”はパーフェクト。このEP以外の彼らの他の音源にはあまり僕はグッと来ないんだけれども、彼らはこの夏の終わりにはFlamin’ Grooviesとの共演を果たしたりもするみたいだし、期待値みたいなのは間違いなくある。

 

クリーブランドの黒人パンク・ロッカー、Lamont Thomasによるソロ・ユニットObnox渾身のニューアルバム。もともとこのLamont ThomasはV-3、Bassholes、This Moment In Black Historyなどでドラムを担当するところからそのミュージック・キャリアをスタートさせた生粋のガレージ・パンクスである。それがこのObnox名義の作品では、エクスペリメンタルの態でガレージパンク/パンクロックにヒップホップの要素を混入させるようになり、そして本作「Niggative Approach」(タイトルはもちろんデトロイトのハードコア・レジェンドNegative Approachに言及したもの。本作の冒頭とエンディングでナレーションを務めているのはそのNegative ApproachのJohn Brannonだそうだ)で彼は自身の流儀でのガレージパンクとヒップホップの折衷を描いてみせた。これはLamont Thomasによる高らかなビートへの隷属宣言のようなものだ。圧巻。このアルバムを聴いた僕の感想は、“Jailbait”や“Bacon Fat”などのローカルヒット曲を持ち、50年代から活動を続けるR&BシンガーAndre Williamsが、Mick Collins率いるDirtbombsやJon Spencer Blues Explosion、Compulsive Gamblers(未確認ながらも、Lamont Thomasはこのバンドにも関わっていたらしい)など、彼を慕ってやまないガレージパンクのタレントたちをバックに従えてリズム&ブルース、ソウル・ミュージックを当時の最先端のガレージパンクを基盤としてアップデートすることでAndre Williamsの野太い歌声を際立たせた2000年の「Black Godfather」(Apple MusicSpotify)に近いもの、とするのがこのアルバムを理解するには手っ取り早いのかなあと。
しかしクリーブランドのパンクシーンはいま本当に面白い!当ブログでインタビューも行ったFascinating/Nico Missile/Shagg/Pig Flayer/ソロなどでその活動ペースのギアを上げていく一方のRicky HamiltonやQuality Time Records周辺のバンド群を筆頭に、Total Punkからリリースされてここ日本のレコードショップでもヴァイナルを取り扱うお店が出てきたRubber Mate、トリプルVoでFunなアティチュードに貫かれたBulsch、クリーブランドのパンク・バンドのフィジカル・リリースを積極的に行っている地元Wax Mage Recordsより新作をリリースするDècheなど、枚挙に暇がない。82年の名作コンピ「Cleveland Confidential」の多様性だけでなくそこに充満していた不穏な空気感が蘇っているような、彼の地の動向には注目している。

 

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Interview with NAHAVAND

 ときどき、音楽のなかで歌われている出来事や光景が、そのときの自分を言い当てているかのような、自分の心を代弁してくれているかのような、そんな音楽に出会うことがある。そういった出会いというのは、本当に特別なものだ。
今年1月に発表されたNAHAVAND(Twitter,Instagram)の”Hold On(feat.Gotch)”(iTunes,Spotify)”は僕にとってそういう曲。2015年にP-VINEより「Two Of Strongest」を全国流通させ、順風満帆であったはずのバンドが解体寸前の地点からはじまり、もう一度音楽を志すに至る過程を描いたこの曲は、まるで傷ついた魂が孤独から「再生」していくロードムービーのようで、自分にとって大切なものを自暴自棄になって放棄しようとしていたそのときの僕の心に、どこまでもまっすぐに響くものだった。
ヒップホップとロックを両立させる、という極めて「ロック」的なNAHAVANDのあり方は、闇夜で針の穴を通すような作業の果てに成立しているように傍目には見えるが、彼らの発言などを追うとそれは極々当たり前のこと、なんだろう。彼らのそういったマインドは、例えばFrank Oceanの「Endless」と「Blonde」に、フィラデルフィアのベッドルーム・ポッパーAlex Gが参加したことが、昨年インディー・ポップのフィールドにおいて衝撃的な事件として広く喧伝されたが、そのような事象と地続きのもの、まさに同時代のものだと思うのだ。
“Hold On(feat.Gotch)”につづいて2月に配信された”H.W.G.A.”(iTunes,Spotify,YouTube)での、よりトラップに接近したビートの硬質感は、「Two Of Strongest」以降に彼らがリズムの肉体改造を行なったことを強く誇示する鮮烈なものだった。この楽曲について音楽評論家の田中宗一郎氏がTwitter上でこんなツイートをしている。
この発言を目にして僕が気づいたこと。2011年、いま現在はSlug Christのステージ・ネームでFatherらとAwful Recordsの一員としてその名を馳せているChaz Bellが、まだアトランタの無名の若者でしかなかったころの話。彼はAn Isle Ate Herというマスコア/グラインド・コア・バンドで活動しながら、ソロではさまざまな音楽を発表していて、そのなかには現在の彼のオカルティックなトラップの雛形のようなものがあったりもしたのだけれど、彼やAn Isle Ate Herのメンバーたちと親しくなった僕は彼らを通じてアトランタのアンダーグラウンドな音楽シーンの盛況ぶりを知ることとなる。「メタルもパンクもヒップホップもなあ、全然関係ねえ。本当にカッコいい奴だけが、カッコいいことやろうぜ」とは、僕が20年以上に渡って敬愛する日本のとあるスラッシュ・メタル・バンドのヴォーカリストの方がライブのMCにて言い放った台詞だが、あのときのアトランタに充満していたのはまさにそういう空気感。インディー・ポップ、マスコア、メタル、ヒップホップ、各々が指向する音楽性はさまざまだったが、互いのジャンル、カテゴリーを越えて「音楽」を愛する想いだけで人と人とが繋がっていく。それはまるで小さなユートピアが形成されるのを見るようで、とても刺激的なものだった。(余談だが、その2011年の夏にAn Isle Ate HerのベーシストだったEricから「これは絶対にヤバイからお前も聴けよ」と教わったのが、Etherealの「▲ B S T R ▲ C T I C ▲」とKeithCharles Spacebarの「BeforeCommonEra」、そしてそのふたりがタッグを組んだSupperbuddahの「Watch The Cough」だった。その3枚ともが、2011年のアトランタのヒップホップにおいてエピックといえる作品であったし、また、元Chariotのギタリストで、ポストHCとして歌モノをDTMをベースにして構築していくソロイストslowriterの「slowriter EP」などは、あのときのアトランタでしかありえないような湿度の高さがパッキングされたものだ。この辺のアトランタの音楽を掘ってみようと思う方、参考までに)
そう、NAHAVANDが目指しているものというのは、あのとき僕がPCの画面越しに目撃していたアトランタのシーンにあったような、他者との共生の姿ではないか。それは、けっして「身内ノリ」などと揶揄されるような生温いものじゃない。ダイナミックな緊張感をしっかりと維持したままに、同じ価値観、ヴィジョンを同時代のミュージシャンやリスナーたちと共有する、という非常に鋭角的なものだ。
そして、先月末にリリック・ビデオが発表となった”Made”を再生するたびに僕のそんな想いは強くなる一方である。この曲の研ぎ澄まされた一音一音、歌詞の一字一句には、受け手と視線の高さをあわせることに猛烈に飢えた彼らの姿が投影されている。そうなんだよ、バンドと一緒にこの時代を生きる、これが、これこそがロックなんだよ。今回、縁あって当ブログにてNAHAVANDのVo宮内にショート・インタビューをさせていただくことができた。”Hold On(feat.Gotch)”発表時のスーパーリアルロックマガジンでの非常に濃厚なインタビュー(Link)も記憶に新しいが、ここでもまったくブレることのない彼の強固な確信が語られた力強い内容となっている。僕は思うんだよ。こういうバンドこそ。なにがあっても。音楽を、音楽を続けるべきなんだよ。(文中・敬称略/文責・古川敏彦)

 

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今は自分の為だけでは無く、誰かの為にもラップしてる

 

・今回の”Made”のリリック・ビデオですが、宮内さんがほとんどカメラに目線を合わせないことで視聴者は否が応にも歌詞に向かい合わざるを得ないような作りになっていますね。このビデオの撮影はどのようなものだったのでしょうか。
-書き終えた時点で、この曲はリリックを読みながら聴いてもらいたいと思い、H.W.G.A.に引き続き大阪の二十歳の映像作家、Raitoくんにお願いしました。リリックが動いたりイラストが入るのは嫌だったので、映像をボカして撮ってもらい、シンプルにリリックを出すだけの作品を作って下さいと伝えました。いつか好きに撮ってもらいたいんですけどね、まだRaitoくんとノリが一致するまでには少し時間がかかりそうですね。若いし才能あるので、関西のバンドは彼に映像を撮ってもらうといいっす。
・「流通かけても 二束三文 U2になれない 俺らの方法」というサビは「Two Of Strongest」がP-VINEから全国流通になったことへの後悔だったり、音源の配信っていうことに対しても非常に含みのあるものになっていますよね。歌詞がとにかくシリアスで情報量の多いものなので、この辺のことを話せる範囲内で構いませんのでお話願えますか。
-色んな人にやめとけって言われましたね。せっかくフリーダウンロードで自分達のフィールドを作っただろ?って。でも「ニハーヴァンドCDを全国流通させるの巻」があっても良いかなって。決めたのは自分なので。後悔は無いですね。
・”Community”で”楽観視してるほうだと思うけど”と歌っていた”十年後 二十年後”というラインが”Made”でもより強固な意志を持って出てきます。いまのNAHAVANDにとって、またはいまの宮内さんにとって、十年後、二十年後のビジョンというのはどういうものでしょうか。
-ストリーミングが主流になり、知らない音楽へのアクセスが容易になっていく中、ジャンルの壁を越え皆が色んな音楽を聴くようになれば面白いですね。全く違うジャンルの音楽を聴く事によって、今聴いてる音楽の聴こえ方も変わると思うし。
・”Made”はレコーディングからリリック・ビデオ公開までの時間が異常にはやいものでしたよね。また、以前の会話のなかで「なにを生き急いでんだって話で」なんて言葉が宮内さんの口から出て僕はドキッとしたんですけど、”Hold On(feat.Gotch)”から”H.W.G.A.”、今回の”Made”、リリースがアナウンスされているEP「ROCK TRAP」と、NAHAVANDのリリースペースは今年になってから異常なことになっています。「Two Of Strongest」収録の”27 Club”でジム・モリソン、カート・コバーン、ジミ・ヘンドリックスに言及していたりというのもそうなんですけど、いま宮内さんは生き急いでいるという実感がありますか?
-Hold On(feat.Gotch)は自分にとっても大切な曲で、この曲をリリースして停滞するのは嘘になると思ったんですよね。俺はアップダウンが激しいので躁状態の時に頑張らないと。とりあえずMadeでNAHAVANDの行く道が定まったので、ライブを入れつつEPを完成させようかなと思ってます。
・また、いまNAHAVANDの活動がとても充実していて純度が高まっている、そのモチベーションの部分っていうのは宮内さんのなかではどういうものでしょうか。
-俺らのファンはロックリスナーが大半だと思います。戻って来たニハーヴァンドがどういう音を鳴らすか。それは先程述べたジャンルの壁を取り払う事に繋がります。今は自分の為だけでは無く、誰かの為にもラップしてるわけです。これは戻る前には無かった事です。時里もトラックを作る時は同じ気持ちだと思います。
・”Made”についてPost Maloneの影響を受けて作ったこと、Chance the RapperやFuture、またはトラップへ傾倒していることをTwitter上にて公言されていましたね。その一方で、ギター・ロックへのリスペクトを常に掲げていて。「俺こそロックの体現に相応しい」という歌詞の通りに、いまのNAHAVANDって”Soul Dwells In Style feat. The Cigavettes”や”Music”のようにギターサウンドを前面に打ち出しているわけではないのに、まさにロックそのものだと思うんです。このバランス感覚というのはNAHAVANDのコアの部分だと思うんですけれども、どうやってそれが培われたとご自分ではお考えですか?
-俺と時里はBLANKEY JET CITYをきっかけに出会ったりして。ロックバンドが一番カッコいいんだって共通認識が二人にあるからじゃないですかね。気が向けば昔のような曲も作るし、そっちが好きな人はその時聴けばいいし、置いて行くつもりは無くて。付いて来てくれたら嬉しいよってぐらいで。
・”H.W.G.A”とこの”Made”で若いディレクターを起用したり、今回僕のブログのようなマイナーなところでインタビューに応じてくれたり、といま宮内さんのなかに他人をフックアップしていくんだという意識があるのでしょうか。
-フックアップと言うより、色んな人を通して自分達の新しい一面を見たいという感覚ですかね。フックアップできるように上がるのはこっからっす。
・新作EP「ROCK TRAP」について、これも情報解禁前なのでいま話せる範囲内になってしまうんですけど、告知お願いします!」
-タイトルいいですよね。H.W.G.A.とMadeに加えて何曲か入れます。配信は勿論、グッズとしてCDを作るかもしれません。夏までには出したいです。今の勢いなら余裕ですから。

 

NAHAVAND live schedule
4/9(日) 京都mogran’BAR (w/ Native Rapper) open18:00 / start 18:00  adv FREE / door FREE
5/20(土) 梅田Shangri-La (w/ THE NOVEMBERS) open 18:00 / start 19:00 adv¥3800【1drink¥600別】
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McCallister (Single Version) The Mells

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The Mells(Facebook)はNYのインディー・ポップ、シューゲイズ・バンド。2015年のバンド結成後、翌2016年の1月、初ライブを迎える前に彼彼女たちがリリースしたリハデモ「Mells Memo Demo」がこちら。そのデモ音源を僕は聴いてひとりで盛り上がりに盛り上がってこんなエントリーを書いて、さらにはバンドにコンタクトを取ったりもしたと。ちょっと飛ばし気味に。でも、一昨日Bandcampにアップされたものの一旦は消され、本日Impose Magazineでのこちらの記事にあわせて公開された1stシングル「McCalliser(Single Version)」を前にしているいまだからこそ、胸を張ってこう言えるんだよ。僕は間違ってなかったって。

この曲は先の「Mells Memo Demo」でも披露されていたものだが(注・リリース当初、このデモは4曲入りだったが、現在はストリーミング/ダウンロードともに”Plum Crush”1曲のみの公開となっている)、これが本当に同じ曲なのかと見間違えるかのような出来栄え。完成度。この清らかな音源をして「For fans of Wildhoney,Mercury Girls and Literature」なんて文言がこれからネット上で飛び交うことになりそうな気もするし、このLiterature~Mercury Girlsが構築した文法をそのまま流用したようにも聴こえる楽曲は、それらのバンドのリスナーにはダイレクトに届くものだろうなとも。ただ、ここにはそれ以上に、彼彼女たちがLiterature関連のバンドのイミテーター、フォロワーに留まることなく、これから自分たちの音楽を、巨大な物語をクリエイトしていくんだろうなあという予感・期待感を抱くには十分な完成度の高さを湛えていて、ここからはじまっていくなにかを自分は目撃出来るんだなって、僕は高揚するんだよ。まあ、まだ3分足らずの楽曲がたったの1曲公開されただけなんだけどね。それでも。

いくらかパーソナルな想いを交えるなら、The Mellsが奏でるのは表面張力が果たされるほどにストレスに満ちて、なにか「問題」の類をこれ以上抱えてしまったらマインドが決壊してしまうというような毎日のなかで、僕の背筋をまっすぐに伸ばしてくれる音楽。そうなんだよ。少なくとも僕にとっては、ロック、それを「ポップ・ミュージック」と言い換えてもいいし、もっと大きな括り、「音楽」としてもいいのだけれど、それらを聴く、愛好するということは、とりもなおさず自分の力ではどうにもならない、決して覆らない現実を前にしたときの精一杯のレジスタンスそのものだし、もう自暴自棄になったり呆然としたりするしかないような状況下でも自分自身に誇りを持って生きていくために必要な心の豊かさに手を伸ばすということなんだよ。本当に、僕はこれが欲しかった。こういうのを求めていたんだよ。

 

 

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